集中治療医のStudy Melbourne

麻酔科系集中治療医が家族4人でオーストラリア・メルボルンへ博士課程留学!初めての海外研究生活、メルボルンライフの模様をお送りします!

6ヶ月経過・英語について

渡豪して半年が経過、コース開始まではまもなく半年が経つ。

 

最近は実験のスケジュールがタイトなのと、半年のmile stoneとしてのpre-confirmation meetingに向けて(半分放置していた)実験結果の解析などに追われてブログから足が遠のいてしまっている。

 

が、せっかくなので、何回かに分けて半年の時点で思っていることを書いてみる。

 

今回は英語について。(今さら「英語について」と書くのは少し気が引けるが、留学の記録としては書いておくべきだと思ったので書くことにした。)

いきなり英語が上達したりはしない

至極当然だが、海外で生活したからといって突然英語が話せるようになるわけではない。

 

私の留学前のIELTSはOA7.5(留学開始の2年近く前だが)。留学開始時のスコアとしては日本人の平均以上だと思われる。

 

それでも日々英語に関する悩みは尽きない。少なくとも、子供と一緒にドラえもんを見ながら「翻訳コンニャク」が本気で欲しいと思うぐらいには...。

日常生活はそれほど困らない

しかし、日常生活をする上ではそれほど困らない。

 

確かに最初は独特のオーストラリアのアクセント(というか移民が多いので世界各国のアクセントと言った方が良いか、どれが何アクセントかは未だに区別がつかないことも多いが)に苦戦したが、数ヶ月もすれば耳がある程度慣れた。

 

相手の言うことを事前に予測した上で、キーワードがそこそこ聞き取れば、あとは笑顔でThank you.と言うだけである。

 

これは大袈裟でもなんでもなく、コロナ禍の影響もあり電子化、無人化が進んだメルボルンではスーパーの会計もレストランやカフェでの注文も会話をする必要はほぼない。本当に必要なごく限られた状況で上記の対応ができれば普通に生きていくことはできる。

 

電話なんかは少し難易度があがるが、分からなければ何度でも聞き返せばいいし、結局は大差ない。

 

究極的には、Yes, noが言えて、Thank you.とNo worries.が言えて、あとはyeahの言い方を20通りぐらい身につけとけば普通に生きていける説。

 

そういえば最近VPNなるものに登録し日本の番組が見れるようになった。そこで久しぶりに「出川イングリッシュ」(世界の果てまでイッテQ!という番組の「出川哲朗はじめてのおつかい」というコーナー)を観て、改めて感銘を受けた。私たちが感じる言語の壁の何割かは実際には「言語の壁」ではなく「心の壁」なんだという大事なことを教えてくれる。(英語に悩む留学生は全員観るべきだと思う。)

日常生活のレベルを超えると

ただし、これはあくまで日常生活レベルの話。その一歩先を目指すと様々な困難に直面する。

 

まず研究において。ラボでの日常会話は少しして慣れた。ラボメンバーの英語も毎日聴いているうちに慣れてくる。ラボメンバーも私の不完全な英語に慣れてくる。(後者の要素が大きいと思う。)

 

しかし、研究に関する議論にはまだまだ入っていけない。自分の意見を即座に表現する瞬発力が全然足りない。悔しい思いも気まずい思いも何度もしている。

 

さらに大変なのはsocialな場。いわゆるフリートーク、これは相当に苦しい。

 

例えば研究室のティールームでの会話、お酒の席での他愛もない会話。聴き取りすら困難なことが未だに結構ある。

 

ちなみに今までで一番辛かったのは、(今後コラボするであろう)複数のラボ合同のミーティングの後の食事会。

 

大きな音楽がかかったレストランで、初対面の人たちと食事を共にするのはこの上なくキツかった(日本語でも苦手)。日本の話、お互いの研究の話はしてもそんなのトータルで15分ぐらい、残りの2時間半ぐらい、何してたっけ。死ぬほどゆっくりご飯を食べ、いつもの3倍ぐらいトイレに行き、最終的に早めに退散した。←

 

いつかこういう集まりで爪痕を残せるようになりたいが、はるか遠い未来のことに感じられる。

わずかだが確実に進歩はしている

余計なことをたくさん書いたが、結局のところどうなのか?簡単に書くと

  • リーディング:変わりなし。
  • リスニング:伸びている。以前からよく聞いているPodcast、最近は1.25倍速で聞いても普通に理解できるようになった。
  • ライティング:不明。Academic writingやメールでほぼ毎日英語を少し書いてはいるが、なんとも言えない。
  • スピーキング:多少マシにはなっている。

こんな感じ。伸びている実感があまりなかったが、この記事のために振り返ってみると確かに成長していることに気づく。

 

しかしまだまだ不十分。

 

「英語は手段であって目的ではない。」という以前も書いたこの考えは今も変わっていない。自分にとっては「研究のディープな世界に入り込むこと」が一番の目的なのだが、堅苦しい能書きは抜きにして「もっと英語話せるようになりたいー」という気持ちはこちらにきて強くなっている。

自分の中でのルール

ところで、自分がこちらに来て自分に課しているルールがある。「どんなミーティングでも最低1回は発言する」とか小さいものもあるが、一番は

 

自分からは「英語ができない」と言わない

 

ということ。

 

理由はいくつかあって、1つは普通に喋れば不完全なことぐらい相手には絶対伝わるから。カタコトの日本語で話す人を想像すれば明らかだ。余計な壁を作る言葉は必要ない(むしろマイナスだ)と思っているから。

 

もう1つは、「英語ができないから自分の考えが伝えられない」は半分本当だが半分嘘だから。多くの場合、背景知識の不足やアウトプット能力の欠如(要は日本語でもまともに意見を言えない)がメインの理由であるように思う。それを英語力のせいにするのは違うし、賢い相手なら間違いなく見抜くはずだ。

 

このルール、当然のようにやっている人もいれば、むしろ普通に「私は英語がねぇ〜」と話している人もいるだろう。別にどちらでも良いと思う(実際特に影響は感じない、多分本人以外誰も気にしてないから)が、もし「自ら予防線を張っている」「英語ができないことを言い訳に色々ごまかしている」という後ろめたさを感じているなら、試してみる価値はあると思う。

 

「日本人は英語ができない」というイメージは確実にある

もう1つ気づいたことがある。

 

自ら言及しなくとも、時々Your English is excellent.とか言われることがある。ありがたい励まし(お世辞?)である。これに関しては特に何も感じないが…。

 

それより気になったのは、私の英語について語る際の比較対象が100%日本人であること。

 

この場面で「あのエチオピアからの学生は」「あの中国人の研究者は」というのは聞いたことがない。これは100%、100%日本人である。

 

さらに言うと、日本人の話になると必ずと言っていいほどその人の英語力の話になる。他の外国人でそんなの聞いたことがない。

 

やはり「日本人=英語が不自由」というラベリング、イメージは確実に存在する。と思う。

 

ただしこれは「英語ができないので全体的にダメだ」とかそういうことではない。ただ単にレーダーチャートで「英語力」の部分だけ凹んでいるようなイメージ。

 

ありがたいことに日本人に対しては「真面目で勤勉」「謙虚でストイック」といったポジティブな印象を持ってくれている人が多いように思う。他の部分が評価されているからこそ「英語力の低さ」のアンバランスさが1つの特徴として認識されているのではなかろうか。

 

…頑張れ日本人!いや真面目な話、これって個人レベルだけではなく、国レベルで取り組むべき課題なのではないか。少なくとも今後国際社会での競争力を保ちたいと本気で考えているなら。

取り組んでいること

話を自分のことに戻して、「伸びてはいるがまだまだ不十分な」英語。

 

これをどうにかするために、数週間前にオンライン英会話Camblyを開始。知り合いの日本人留学生も結構やっている人が多い。無理せず1回30分x週3回で開始。まだ試運転状態であるが有効活用していきたい。

www.cambly.com

そして、最近うやむやになっていた単語や作文のトレーニングを少しずつ再開することにした。「英語は目的ではない」とか言いつつ、やっぱり英語を単独で勉強する時間が必要なんだと思う。(しかし朝起きられない...)

 

PhD終了後までにIELTSスコアが必要になるので、とりあえず1年以内にはIELTSを受験するつもり。果たしてどんなスコアが出るんだろうか。

終わりに

かつてないほど長い記事になった。

他にも研究のこと、現地生活のこと、あとは印象に残ったことをいくつか今後の記事で書いていきたい。

 

ではまた。

あまり歩いたことがなかったキャンパスを散歩。歴史ある建物と緑が融合してとても良い雰囲気。