集中治療医のStudy Melbourne

麻酔科系集中治療医が家族4人でオーストラリア・メルボルンへ博士課程留学!初めての海外研究生活、メルボルンライフの模様をお送りします!

1年半経過・振り返りと今の悩み

博士課程開始から1年半が経過した。今日はその振り返り。

 

この半年は自分の中で1つ大きな変化があった。

 

それまで「シンドい」と感じていた海外PhD生活が「大丈夫」に変わったのだ。

 

過去の記事を読み返してもそれほど悲壮感は感じないが、それは努めて前向きに書いていたからであって、実際には自分の研究もそうだし、妻も適応に苦しんでいて、本当にしんどかった。発狂しかけたことも一度や二度ではなかった。。。

taku-fcb.hatenablog.com

去年の今頃、複数の人から「しばらく辛い時期が続くけどある時ふと大丈夫になるから頑張れ」と言われて踏みとどまっていたら、本当にその時が来た。きっかけは人それぞれだと思うが、私の場合は日本への帰国が転機だったように思う。

 

段々と良くなるという感じではなくて、ずーっとトンネルの中にいて、日本帰国を境に突然トンネルを抜けて日の光を浴びることができた、そんな感覚。

 

なので全体的にはポジティブに捉えらる半年間だったと思う。

ただし、細かい不安や不満はたくさんある。せっかくの機会なので留学生のリアルとして今の悩みや不安を書いていく。

ボスのアベイラビリティの低下

ボスは30代後半、今年PhD取得後10年という若さにも関わらず異例の速さで昇進。ついに教授になることが決まった。めでたい。

 

しかし昇進に伴い対外的な会議が爆増、ラボに現れる機会は格段に減っている。偉くなる人にとっては避けられない運命だ。

 

そんな対外的な業務に加えてグラント書きにも忙しく、以前程気軽に相談できる感じではなくなった。例えば以前提出した論文の原稿も2ヶ月以上放って置かれている状況。

 

昇進したりグラントを獲得するのはラボにとっても良いことなのだが、PhDを完遂するという現実的な課題に目を向けると一抹の不安を覚える。

研究時間の使い方の変化

1年目と比べると研究のスタイルも少し変わってきている。

 

1年目はただひたすら実験して、中間データを同僚に向けてたまにプレゼンだけでよかったのだが、2年目はデータの丁寧な解析、論文化はもちろん学会やシンポジウムへの参加にもかなりの時間を割いている。

 

実験は論文を出してナンボの世界なので執筆については文句はないが、正直学会やシンポジウムに関しては自分がプレゼンする以外の参加意義がいまいち見出しきれず、実験や執筆が進まない障害のように感じてしまう。

 

おまけに「今後研究者としてFellowshipを取ったりするのにcommunity engagementが大事だから来年研究所のPhD学生団体に参加したら?」とボスに言われているのだが、これは断固拒否したい。

 

そもそも研究に充てる時間自体が減っている(これは家庭と幸せや自分の身体的・精神的健康とのバランスを取った結果なので良い)中で、実験や執筆活動以外に精を出す余裕はない。オーストラリアでのネットワーク(コネ)の大事さは頭では理解しているつもりだが、限られたPhDの時間からそのための時間を捻出する価値を見出しきれていないのが現状で、どうしたらいいのか悩んでいる。

基礎研究者と医師の壁

この世界にしばらくいると基礎研究者scientistと医師(臨床家)clinicianには見えない壁があることに気がつく。というか基礎研究者の中に「医師は私たちの話を聞いてくれない」という思いがあるようだ。

 

両者の垣根を崩そうと奮闘する研究者がいる一方で、「Clinicianたちはアホだから...」みたいなのは研究者の中の鉄板のジョークとして割と頻繁に耳にする。彼らも深い意図を持って発してるわけではないし、特定の誰かを指しているわけではない。気持ちもなんとくなく分かるので、個別の案件で腹を立てることはない。

 

が、何度も聞いているとIt's not my placeという気持ちが強くなる。そもそもそこに滲み出る卑屈な雰囲気が嫌い。彼らにとってclinicianは「団結のための外敵」なのかもしれないが、私にとってそういう類の発言は「自分はclinicianである」という認識を強固にしていくものでしかない。

 

それもあって(何度か書いているが)PhDが終わったら軸足を臨床に置くことを心に決めた。(研究は続けるがそれが基礎研究なのか、自分のPhDのテーマに関わる臨床研究なのかはわからない。)

学生っぽい自分

日本ではそれなりに経験を積んで後輩を指導する機会もあったのに、こちらに来てからは指導されてばかりの自分。

 

基礎研究の経験が乏しいとはいえ、社会人経験があって、ましてや医師としてそれなりのスキルと資格まであって、本当はもっと高いレベルでのコミットメントが求められているのではないか。特に研究でコラボする医師たちの立派な姿を見ると、自分が学生然としすぎている気がして恥ずかしくなる。

 

英語のせいが70%、基礎研究の経験の欠如のせい30%だから仕方ないと思うようにしているが、本当はそもそもの能力が求められる水準に達していないのかもしれない。研究者として、医師として、指導教官たちの期待・投資に見合う成果や成長を示せないのではないかという恐怖感に襲われることがある。

伸びない英語

上に関連して、もはやブログの話題に挙がることもあまりない英語だが、この1年半であまり伸びている気がしない。伸びたのは私の英語を聞き取る同僚たちのリスニング力なのではないか?

研究留学って臨床留学(医者として働く)より英語力が伸びないっていうのはよく聞くけど確かになと思う。

 

結局言い訳にしかならないので英語の不出来のことは口にはしないし気にしないようにしているが、自分の英語を聞き取ろうと一生懸命耳を傾けている同僚の様子を見るとふと空虚な脱力感に襲われることがある。ごく稀に初対面の人に「英語上手いね」なんて言われると逆に少し屈辱的な気持ちになる。

 

Camblyは週3で続けているし、単語の勉強も細々続けているがあまり効果を実感できていない。

 

近いうちにIELTSをまた受けないといけないがその時にスピーキングがどんな出来になるのだろうか。

まとめ

ネガティブなことが多い記事になったが、最初に書いた通り全体としてはポジティブに振り返れる半年間。でも良いことばかりではない海外PhD生活。

 

次の振り返りは2年目を終えた時に。またポジティブに振り返れるよう頑張りたい。