集中治療医のStudy Melbourne

麻酔科系集中治療医が家族4人でオーストラリア・メルボルンへ博士課程留学!初めての海外研究生活、メルボルンライフの模様をお送りします!

2023年振り返り

まもなくクリスマス休暇に突入。それを前に今年1月に書いた2023年の抱負を振り返ってみる。

生活面での目標

・家族全員健康で過ごす:×

これは残念ながら×。

 

息子の足の症状は思ったより長引き、結局病院に定期通院する羽目に。幸い今のところ長期の治療が必要となる慢性疾患を疑う所見はなくて、念のためのフォローという感じ。

 

ここ最近は症状も出ていないし、年齢を重ねれば自然となくなるだろうと言われている。

 

それより問題なのは私の健康。

 

胃カメラを受けて逆流性食道炎と言われて治療を始めて早ヶ月。食生活を改善したり色々しているが、症状のコントロールが今いちつかず。

症状が重くて仕事に集中できなかったり、可能性は低いけどもっと重大な病気なのではと心配になったり、良いことはひとつもない。

 

来年は健康状態の改善の優先順位がかなり高い。

 

ハーフマラソン:⚪︎

宣言通りメルボルンラソンのハーフの部を完走。

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来年も学会などが被らなければ出るつもり。ハーフだけにするかフルを頑張るかは未定。

 

・IELTS各バンド7.0以上、overall 8.0:?(おそらく×)

結局忙しさを言い訳に、再受験することなく年末になってしまった。なんとなくマズい気がして 本日駆け込み受験。ほぼ準備なしで臨んだので手応え的にはライティングが厳しかったが...果たしてどうか。結果が出たら記事にする予定。

 

研究での目標

・1年の審査confirmation meeting無事通過:⚪︎

こちらは問題なく通過。最早はるか昔の出来事のように感じる。

 

・論文:1本出版、1本投稿:△

論文を1本Publishできたのは大きな成果。

しかし今執筆中の論文は予想以上に時間がかかって年内投稿は叶わず。ResultsとDiscussionの一部を書き上げて指導教官に送ってクリスマス休暇に突入。来年なるべく早いうちの投稿を目指したい。

 

・学会発表:国内学会1つ、国際学会1つ:⚪︎

日本で開かれた国際学会1つ、オーストラリア国内の学会2つで発表した。国内学会2つはどちらも賞をもらった。

来年はもう少し高い目標を設定したい。

 

・コミュニティを少し広げる→△

研究関連のコミュニティは少しは広がったが取り組みが十分とはいえず。一方、娘の小学校関連では予想外に知り合いが増えた。

 

こう見ると達成できたものとできなかったものが半々くらい。

 

達成できなかったものは自分の努力不足のところもあるし、自分ではどうしようもない部分もある。

 

目標はあくまで目標であって、現実に合わせて軌道修正するのは失敗ではない、と最近どこかで読んだ。なので大満足とはいかないが、現実は素直に受け入れる。

 

来年は海外生活も3年目に入り、PhDも重大局面に入る。

 

クリスマス休暇でリフレッシュしてまた年明けから頑張ろうと思う。

娘の1年

娘が小学校に行き始めたのが今年の2月。それから時間はあっという間に過ぎ、気づけばprepも終わり。

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ここ最近は学校のクリスマスコンサート、担任との面談など、1年の締めくくりのイベントがいくつかあった。

水泳教室

これは1年の終わりとは直接関係ないのだが、12月の最初の2週間で水泳教室があった。

 

本の学校で水泳といえば、夏の間体育の授業が全て水泳になるのが普通だったと思うが、オーストラリアでは1年に2週間ほど集中的にやるのが習わしのよう。娘の学校では月〜木曜×2週間、計8回水泳の授業があった。

 

その間親が日替わりでボランティアをしていて移動や着替えの手伝いをしていた。

私も1日だけ参加したのだが、これが結構面白くて、市民プールまでの10分弱の徒歩移動ですら、ただの着替えですら、なかなかのカオスだった。特に更衣室の男の子たちのやりたい放題には思わず笑ってしまった。水着を投げ捨てる、素っ裸で叫ぶ、着替え中の成人男性を指さして何か言う…日本の年長児ってもう少しorganizeされてなかったっけ?日本とは教育方針が違うからこんなものか。元気があって非常によろしいが大人たちは大変。改めて毎日相手をする学校の先生たちには頭が下がる思いだった。

 

娘は楽しそうにやっていて良かったのだが、レベル別のグループ分けでは一番下だった。こちらでは学校の授業とは別にスイミングスクールに通う子供が結構多い。娘も日本では通っていたが留学を機に辞めてそれっきり。娘も行きたいと言っているし来年からはスイミングスクールに通わせようということになった。

クリスマスコンサート

金曜の夕方から全校生徒とその親たちが集うクリスマスコンサートがあった。

 

学校のグラウンドにできた即席の舞台で子供たちがクラスor学年ごとにパフォーマンスするこのイベント。


グラウンド脇では生徒や保護者ボランティアの運営でピザ、ソーセージ、アイス、オモチャが売られていて、さらにはフェイスペインティングブース(これは外部から呼んだもの)や校内で育てた野菜果物の加工品の販売ブースもあった。

 

親たちは皆シートや椅子、食べ物飲み物を持ち込んでいて、ピクニックとお祭りが合わさったような雰囲気。学校の敷地内で堂々とビールやワインを飲めるのが面白い。運営スタッフもお酒を飲みながらチケットを売ったりしていて、このユルさがたまらない。

 

娘のクラスはシェフのコスチュームでRip up the recipeのダンスだった。小さい子供たちがキャッキャ言いながら踊っている姿はとても可愛かった。1ヶ月以上前から練習していただけあって、クオリティもなかなかで感心した。

ダンスが好きな娘は家でもよく踊っていて、本番も楽しそうにやっていた。

youtu.be

Dad's catch-up

クリスマスコンサートの前日には、父親同士の集まりがあった。2回目の開催で私は初参加。あまり乗り気ではなかったのだが妻に背中を押されて行ってみた。が、これが予想以上に楽しくて次も参加する気になった。

 

2クラスで10人強の父親が近所のパブに集まって交流。ガチガチのオージーから移民系の人まで様々。バックグラウンドも多様で研究者同士の交流会とは違う新鮮さがあった。子供の話もそこそこに、しょうもない話で盛り上がったり、はたまた同じ大学でPhDをやっているパパとじっくり話したり、実りのある3時間だった。

 

1年で数える程しか送り迎えをしていない私だが、学校のイベントや週末の誕生日パーティ、play dateを通して少しずつ繋がりを広げ、顔を合わせれば笑顔で握手して会話できるぐらいのパパ友が何人かできたのはこの1年の予想外の収穫だった。

保護者面談

先週にはクラス担任との保護者面談もあった。年度途中の面談には参加できなかったので、私に取ってはこれが初めての機会。

 

Reading, writing, mathそれぞれについて、娘が取り組んだノートやプリントを見せながら、娘がどれだけ成長したのかを担任の先生が丁寧に説明してくれた。

 

 

Readingやwritingに関してはこの1年で問題なく溶け込めるレベルになったらしい。

特に初期には遅れをとっていたwriting。日本語に比べるとまだ拙いように見えるが、クラスの中で特別遅れているわけではないらしい。

 

確かに娘が書いた絵日記からはその成長ぶりが伺える。初期のものは絵のみで文章なし。それが最近のものは意味をなす文章を書けているのだ。

空白の絵日記 2023年2月

サンタへの手紙 2023年12月 - I love prinses (princess)

School Report(成績表)でも、今年1年は非ネイティブ(第二言語)としてアセスメントされていたのが、来年からはネイティブと同じ評価項目になりますとのことだった。

 

親から見ると少し不安なmathも全く問題ないと言われた。

 

数を昇順でも降順でも数えられるし、3桁の数字の概念も理解しているので大丈夫とのこと。

 

ただ、こちらのmathのカリキュラムは日本と違いすぎてどういうコンセプトなのか未だによく理解できない。将来的に日本に帰る可能性を考えるとやはり若干の不安は拭えない。

 

Kumonのドリルなどで簡単な足し算などをやらせていた時期もあったがあまり身にならず。最近は日本のタブレット教材で促しているもののあまり楽しそうではない。昔は「将来子供にはそろばんを…」なんて考えていたが、それもすっかり過去の話になってしまった。

 

まあでも親はいつでも過剰な心配をするもので…全体として娘はよくやっているようでとても安心した。

 

 

娘をしっかり見てくれた担任の先生には心から感謝したい。彼女は親からの評判もすこぶる良く、子供たちにもとても好かれていた。飴と鞭を使い分けて自由闊達な子供たちをよく纏めていたし、娘の様子もきちんと見てくれていて、ついでに英語もめちゃくちゃ聞き取りやすくて(地味に重要)、とてもありがたかった。ちなみに彼女は来年は別クラスを担任、しかも途中で産休に入る予定。娘もかなり残念がっている。

 

 

そして何より娘には1年間よく頑張ったと言いたい。

 

熱を出して休んだり、頭を打って早退したり、友達に嫌なことをされたと家で泣き出したり、登校しぶりで親や先生を困らせたり、細かいことは山ほどあったが無事1年を終えられてよかった。

 

親を遥かに超える適応力で育っていく娘の姿に親はいつも刺激を受けている。

 

 

来年が娘にとってさらに良い1年になりますように。

学会発表その②

10月末のアデレードでの学会に続いてもう1つオーストラリアの国内学会で発表してきた。

 

アデレードの学会は遠方だったこともあり合宿さながらの過酷な旅だったが、今回は大学内の会場なので楽チン。

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去年は発表なしでこっそり参戦したこの学会。規模こそそれほど大きくないものの、重鎮たちはNEJMやらJAMAやら超一流医学系雑誌に論文を出している人たちばかり。それでいてかなりアットホームでsupportiveな雰囲気の良い学会。

 

私はアデレードの学会に続きPhDオーラルのfinalistだった。発表順は4人中2人目。

 

発表内容は前回とほぼ同じ。前回で多少感じも掴めたし大丈夫か思いきや、本番前はかなり緊張した。(いつかリラックスして話せる日は来るのだろうか?)

 

しかも今回はpresenter viewが使えないことが直前に発覚。そんなのあり?まだまだ英語プレゼンに慣れない私はしっかり原稿を作るスタイルで臨んでいる。ほぼ頭に入っているとはいえ、保険としてpresenter viewがあるかないかは大違いなのだ。

 

発表中に頭真っ白になったらどうしようと心配しながらなんとかプレゼンをやり遂げる。

 

理想には程遠いが感触としてはアデレードの時よりマシになってる。下手くそな分伸びしろがいっぱいあるのがいいところ(ポジティブ)。

 

しかも今回はラッキーなことに、質問3つ全てが事前に想定していたものだった。それぞれ丁寧に答えて無事終了で一安心。

 

 

同僚PhDからは「これまでの君のプレゼンでは間違いなくベストだった」と言われて嬉しかった。

 

別の同僚からは「途中めっちゃジャパニーズアクセントになってて萌えたわ」とイジられた。

 

 

そして結果、

 

 

 

 

Best presentation award獲得!!

 

 

 

前回は2位?敢闘賞?みたいな感じだったけど今回は正真正銘の最高評価。

 

ちょっと自分でも信じられない。

 

 

 

PhD開始間もない頃、PhD1年目の若い学生ですらプレゼンがとても上手くて驚いたのを覚えている。

 

「うちのラボは結構タフなpractice talkしてるからプレゼンも上手くなるよ。学会で賞取ってね!」と言われたが、正直自分には縁のない話だと思っていて、その代わり良い論文を出すのが自分の目標だった。

 

 

半年のpre-confirmation前のpractice talkは未だにトラウマレベルの酷い出来。

 

 

それが気づいたらこんなことになってた。

 

 

正直実感はあまり湧いていない。自分の力というよりほぼラボのお膳立てで取れたような気しかしない。でも冷静に考えると「ラボのおかげ」だけでは説明できない要素があって、これは流石に自分を褒めても良いやつかもしれない、と思っている。

 

ちゃんと研究して、ちゃんと準備をすれば、良い発表ができて評価してもらえるんだ、と。

海外行きのチケット獲得

さらになんと、この賞の受賞者は来年9月のイギリスでの学会にInvited speakerとして送り込まれるのだ。しかも費用の大半は学会持ち。ついでに現地のラボ訪問も強く推奨されている。どうやら学会を代表して交流してきてくださいということらしい。

 

自分がInvited speaker??ラボ訪問したらそこでもラボメンバー向けに発表があるのでは??ちょっと意味が分からない。

 

不安になって速攻ボスに「付いてくる気ある?」って聞いたら「いや行かないよ。無理。」と即答された。やはり単身乗り込むことになりそう。

 

今から不安しかないが(前回の記事でも書いた)自分の中の「学生感」を払拭して、独立した研究者になる第一ステップになる良い機会かもしれない。大恥かいたとしても唯一無二の経験になるから良いか、と考えることにする。

 

 

 

改めて、オーストラリアに来たおかげで日本にいたら絶対見れなかった景色を見れている。本当に幸運でありがたい。

 

ちなみに今回の学会ではECR(PhD後10年以内の研究者)のBest presentationもうちのラボのポスドクが獲得。彼女は同様に米国の学会に送りこまれる。主要な賞をうちのラボが独占してボスもめちゃくちゃ喜んでいた。少しは恩を返せたようで何よりだ。

論文化への長い道のり

次にやるべきはこの研究の論文化。

 

どんなにいいプレゼンができても、論文化できなければ実験してないのと同じなのだ。

 

以前から書いている通り、こちらはかなり苦戦中。

 

先週ようやくボスたちとのミーティングの時間が取れたが、解釈が難しく、一旦グラフなど一式作り直すことになった。

 

来年の中頃にpublishされることが理想だが果たしてどうなるだろうか。

1年半経過・振り返りと今の悩み

博士課程開始から1年半が経過した。今日はその振り返り。

 

この半年は自分の中で1つ大きな変化があった。

 

それまで「シンドい」と感じていた海外PhD生活が「大丈夫」に変わったのだ。

 

過去の記事を読み返してもそれほど悲壮感は感じないが、それは努めて前向きに書いていたからであって、実際には自分の研究もそうだし、妻も適応に苦しんでいて、本当にしんどかった。発狂しかけたことも一度や二度ではなかった。。。

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去年の今頃、複数の人から「しばらく辛い時期が続くけどある時ふと大丈夫になるから頑張れ」と言われて踏みとどまっていたら、本当にその時が来た。きっかけは人それぞれだと思うが、私の場合は日本への帰国が転機だったように思う。

 

段々と良くなるという感じではなくて、ずーっとトンネルの中にいて、日本帰国を境に突然トンネルを抜けて日の光を浴びることができた、そんな感覚。

 

なので全体的にはポジティブに捉えらる半年間だったと思う。

ただし、細かい不安や不満はたくさんある。せっかくの機会なので留学生のリアルとして今の悩みや不安を書いていく。

ボスのアベイラビリティの低下

ボスは30代後半、今年PhD取得後10年という若さにも関わらず異例の速さで昇進。ついに教授になることが決まった。めでたい。

 

しかし昇進に伴い対外的な会議が爆増、ラボに現れる機会は格段に減っている。偉くなる人にとっては避けられない運命だ。

 

そんな対外的な業務に加えてグラント書きにも忙しく、以前程気軽に相談できる感じではなくなった。例えば以前提出した論文の原稿も2ヶ月以上放って置かれている状況。

 

昇進したりグラントを獲得するのはラボにとっても良いことなのだが、PhDを完遂するという現実的な課題に目を向けると一抹の不安を覚える。

研究時間の使い方の変化

1年目と比べると研究のスタイルも少し変わってきている。

 

1年目はただひたすら実験して、中間データを同僚に向けてたまにプレゼンだけでよかったのだが、2年目はデータの丁寧な解析、論文化はもちろん学会やシンポジウムへの参加にもかなりの時間を割いている。

 

実験は論文を出してナンボの世界なので執筆については文句はないが、正直学会やシンポジウムに関しては自分がプレゼンする以外の参加意義がいまいち見出しきれず、実験や執筆が進まない障害のように感じてしまう。

 

おまけに「今後研究者としてFellowshipを取ったりするのにcommunity engagementが大事だから来年研究所のPhD学生団体に参加したら?」とボスに言われているのだが、これは断固拒否したい。

 

そもそも研究に充てる時間自体が減っている(これは家庭と幸せや自分の身体的・精神的健康とのバランスを取った結果なので良い)中で、実験や執筆活動以外に精を出す余裕はない。オーストラリアでのネットワーク(コネ)の大事さは頭では理解しているつもりだが、限られたPhDの時間からそのための時間を捻出する価値を見出しきれていないのが現状で、どうしたらいいのか悩んでいる。

基礎研究者と医師の壁

この世界にしばらくいると基礎研究者scientistと医師(臨床家)clinicianには見えない壁があることに気がつく。というか基礎研究者の中に「医師は私たちの話を聞いてくれない」という思いがあるようだ。

 

両者の垣根を崩そうと奮闘する研究者がいる一方で、「Clinicianたちはアホだから...」みたいなのは研究者の中の鉄板のジョークとして割と頻繁に耳にする。彼らも深い意図を持って発してるわけではないし、特定の誰かを指しているわけではない。気持ちもなんとくなく分かるので、個別の案件で腹を立てることはない。

 

が、何度も聞いているとIt's not my placeという気持ちが強くなる。そもそもそこに滲み出る卑屈な雰囲気が嫌い。彼らにとってclinicianは「団結のための外敵」なのかもしれないが、私にとってそういう類の発言は「自分はclinicianである」という認識を強固にしていくものでしかない。

 

それもあって(何度か書いているが)PhDが終わったら軸足を臨床に置くことを心に決めた。(研究は続けるがそれが基礎研究なのか、自分のPhDのテーマに関わる臨床研究なのかはわからない。)

学生っぽい自分

日本ではそれなりに経験を積んで後輩を指導する機会もあったのに、こちらに来てからは指導されてばかりの自分。

 

基礎研究の経験が乏しいとはいえ、社会人経験があって、ましてや医師としてそれなりのスキルと資格まであって、本当はもっと高いレベルでのコミットメントが求められているのではないか。特に研究でコラボする医師たちの立派な姿を見ると、自分が学生然としすぎている気がして恥ずかしくなる。

 

英語のせいが70%、基礎研究の経験の欠如のせい30%だから仕方ないと思うようにしているが、本当はそもそもの能力が求められる水準に達していないのかもしれない。研究者として、医師として、指導教官たちの期待・投資に見合う成果や成長を示せないのではないかという恐怖感に襲われることがある。

伸びない英語

上に関連して、もはやブログの話題に挙がることもあまりない英語だが、この1年半であまり伸びている気がしない。伸びたのは私の英語を聞き取る同僚たちのリスニング力なのではないか?

研究留学って臨床留学(医者として働く)より英語力が伸びないっていうのはよく聞くけど確かになと思う。

 

結局言い訳にしかならないので英語の不出来のことは口にはしないし気にしないようにしているが、自分の英語を聞き取ろうと一生懸命耳を傾けている同僚の様子を見るとふと空虚な脱力感に襲われることがある。ごく稀に初対面の人に「英語上手いね」なんて言われると逆に少し屈辱的な気持ちになる。

 

Camblyは週3で続けているし、単語の勉強も細々続けているがあまり効果を実感できていない。

 

近いうちにIELTSをまた受けないといけないがその時にスピーキングがどんな出来になるのだろうか。

まとめ

ネガティブなことが多い記事になったが、最初に書いた通り全体としてはポジティブに振り返れる半年間。でも良いことばかりではない海外PhD生活。

 

次の振り返りは2年目を終えた時に。またポジティブに振り返れるよう頑張りたい。

学会発表

今回はアデレードで学会発表してきた話。ありがたいことに初めて賞をもらった。

3学会の合同カンファレンス

参加したのはオーストラリア・ニュージーランドの3学会合同カンファレンス。全体では150人ぐらいの中規模?の学会。うちのラボからは7人が参加していて一大勢力だった。

 

学会の舞台はAdelaide HillというワイナリーエリアにあるHahndorfという小さな街。かつてはドイツからの移民が多く住んでおりドイツ感のある街並みが特徴らしい。

www.visitadelaidehills.com.au

街の中心から少し外れたところにDiscovery Parks(コテージ風の宿泊施設、ジム、プールなどの複合施設)があり、昼間は会議室で学会→夜は敷地内のコテージに宿泊というスタイルだった。

学会場の窓から見える景色。オーストラリア感!

 

こんなところでラボの人たちと泊まり込みで学会、夜は毎日交流会と称する食事会&飲み会。部活の合宿かよ、と言いたくなった。

発表

私の発表は2日目午前のPhD finalistsのセッションだった。アブストが評価されて9人(各学会3人)のfinalistに選ばれていたのだ。

 

ボスには結構前から"No pressure, but talk to win."と言われていた。学会毎に1つ最優秀演題が選ばれるので確率は33%。とはいえ、質疑応答で思いっきりカタコトになる自分にはまあ厳しかろうという個人的な印象。

それでもプレゼンのトレーニングに余念がないのがボスで、学会前にはいつものpractice talkはもちろん、別日に質疑応答だけの練習時間まで設けられた。

 

本番は練習のおかげもあってか10分のプレゼンは無難にこなせたと思う。3分間の質疑応答では4つ質問を受けた。ドンピシャの質問は来なかったが、想定内のものがほとんどだったのでこちらもまずまずの出来だった。もちろん完璧には程遠いのだが。

 

終了後ボスからはめちゃくちゃよかった!!I am so proud of you.とかそんなポジティブな言葉をたくさんかけられた。その日の夜の交流会では酔っ払って「お前が質疑応答まともに全部答えてるとこ初めてみたわw(前日深夜まで飲んでたので)二日酔いで発表する方がいいんじゃないか?とにかくマジで良かったよ」と言っていた。(ちなみに全く二日酔いではなかった。)

 

発表後に見知らぬ人が「良かったよ!」と声をかけてくれたり、発表内容に興味を持って質問に来てくれたり、多少ポジティブな反応が感じられたのも嬉しかった。

 

でも私は分かっている。ボスがめちゃくちゃ褒める=多少慰めの意味も入っている、と。

 

実際、最優秀演題を受賞したのは私の2人あとに発表したPhD学生だった。彼女の発表は内容、質疑応答ともに素晴らしく、誰もが納得の選出だと思う。

 

しかしこの話には続きがあって、学会の最終日に行われた授賞式、彼女が表彰されて「おめでとー!」とぼーっと拍手していたら、何故か次に自分の名前が呼ばれたのだ。

 

え???なに?ってなったけど、とりあえず何かしらの賞をもらったことは分かった。促されるがまま前に出て賞状を受け取って記念撮影。

 

後から調べてみたらFinalist3名から選ばれる最優秀賞の他に、PhD学生発表全てをひっくるめた賞があったらしい。まあ平たくいうと銀メダルということ。金メダルでないが賞は賞、ありがたい。母国語ですらプレゼンが得意でない自分が英語で賞をもらえるなんて、PhDを始めた頃には想像もできなかった。少しは成長してるようだ。

 

連日深夜までの交流会で体力は削られたし、交流の場では相変わらず「存在していることが大事」状態は変わらないので精神的にもかなり疲れた。たださすがに4日間も一緒にいるとそれなりの数の人と顔見知りになって、多少は面白い研究の話やPhDの悲喜交々を共有できたのでよかった。

ワイナリーでミーティング

学会後はアデレードの中心部に移動して別のホテルに宿泊。翌日、うちのグループを中心にした研究グループのミーティング。

 

会場はアデレード在住のICUドクターが持つワイナリー。広大な土地、綺麗に整備された葡萄畑、美しい景色、おしゃれなミーティングルーム、色々凄すぎ。オーストラリアの贅沢な暮らしはこんな感じか、と思った。

贅沢すぎる景色

ワイナリーの小屋?でミーティング

ワイナリーで作られたワインを飲みながらミーティングして夜はシティに戻ってディナー。こちらは以前から顔見知りの人が多くて学会よりはリラックスした雰囲気だった。翌朝早くのフライトでメルボルンに戻ってきて今回の旅は終了。

5泊6日の長旅を終えて

9月末に参加した日本での学会(参加者の多くが日本人、ラボメンバー不在)を除いて、PhD開始後初めてガッツリ学会に参加した今回の旅。自分の研究や発表が評価されて賞までもらえたことは素直に嬉しいことだった。ただ連日の交流会のせい(おかげ)で、本当に部活の合宿のようなスケジュールになり疲れ果てた。おかげでメルボルンに帰ってきた直後に風邪を引いた。

 

一つ気づいたことは、私はやっぱり臨床家(医師)であるということ。今回臨床家(clinician  researcher=医師と研究両方やっている人)はかなり数が少なかったが、やはりそういう人たちの方が話しやすくて安心する。逆に純粋な研究者たちとはどうしても心理的な距離を感じてしまう。自分で勝手に壁を作っているだけなのかもしれないが、この先10年も20年もこの環境の中で生きていく自分の姿はどうしても想像できない。もう9割以上心に決めていたことではあったが、やはりPhDを終えたら(もちろん研究は続けながら)臨床に戻ろうと改めて思った。

 

ちょうど学会中にPhD開始後1年半を迎えたのでその辺はまた別の記事にできたらと思う。

ハーフマラソン完走!

日曜日に行われたMelbourne Marathonハーフマラソンの部に参加してきたのでその時の様子をレポート。

2度目のハーフラマラソン

ハーフマラソンは研修医の時以来2回目。その時はあまりにしんどくてもう二度と出まい、と心に誓ったが、今回は仲の良い日本人の友人と意気投合し参加することに。

 

年明けから2週に1回ぐらいのペースで友人と一緒にゆるーく夜のメルボルンの街を走るようにしていた。途中でもう1人友人が加わり、当日は3人で並走。

 

本番前のトレーニングでも最長距離は15kmほどだったので21kmは未知の領域。しかも私は10日前まで日本にいて美味しいものを食べまくる生活を送っていた。後から加わった友人に至ってはレース前日に1か月間の旅行から帰国する(その間トレーニングなし)というスケジュール。完走が目標だからなんとかなるだろうという読みだった。

レース前日の様子

レース前日にゼッケンを受け取りにスタート&ゴール地点となるMCG(Melbourne Cricket Ground)へ。既に様々なブースができておりお祭り感満載。

前日もまあまあ人がいた

勢いでオフィシャルTシャツを購入。

巨大な椅子で子供たちの記念撮影

レース当日

ハーフマラソンは8時スタートだったので7:30頃に会場入り。(フルマラソンは7時スタート。)会場までは最寄りのトラムで10分強と近いのだが、この日のトラムは日本の通勤ラッシュさながら超満員で驚いた。が、皆イライラするどころか物珍しさとイベント前の興奮からかウキウキしているようだった。途中で乗り込んできたおじいさん(マラソンを見物にいくらしい)が"Good luck, everyone!!"と大きい声で言っていた。

 

この日は日差しも強くなく気温も10度強と絶好のランニング日和。

 

軽くストレッチをしていざスタートへ。

スタート地点に行く道も大混雑。

MCGとRod Raver Arena(テニスの全豪オープンの決勝会場)の間の道からスタート。

前日帰国した友人の旅行話をネタにワイワイ喋りながらゆっくり走る。Flinders StationやNGV (National Gallery of Victoria)の横を走るのはかなり爽快。

Flinders Station周辺もマラソンのため通行止めに

10kmを過ぎたあたりからその友人が苦しみ始め笑、途中少し歩きながら進む。

F1会場でもあるAlbert Parkをぐるりと1周

レースが進むに連れ、彼は足を引きずりはじめたが雑談で気を紛らわせながら気合いで頑張っていた。

 

コース終盤には家族が応援に来てくれて沿道の彼らとハイタッチを交わした。

 

そしてなんとゴールはMCGの中!

スタジアム内のコースでアスリート気分を味わえる

終了直後の様子

ボトム10%のタイムではあるが目標だった完走を果たしたので大満足。

終了後は友人たちと家族でドイツビールの店で乾杯!

レース後のビールは最高!

沿道の応援

ラソンイベントといえば沿道の応援も楽しみの1つらしい。今回も多くの人が独自のスタイルでランナーたちを応援してくれた。ひたすら大きな声で励ます人、家族か友人(多分一般参加者)の特大パネルを用意している人、楽器を演奏する人などなど。

 

ビール大好きのオーストラリアらしく、スタートから200mぐらいのところで「ビールはすぐそこだ!」というプラカードを掲げたり、人やコース終盤で「早くしないとビール売り切れるぞ!急げー!」と煽ってきたり、愉快な応援がとても良い後押しになった。

もうすぐビールだ!の一団は終盤にも再登場

個人的に一番印象に残ったのは"May the Course with You"(コースと共にあらんことを)というスターウォーズのセリフにかけたやつ。それを持つ女の子の虚ろな表情と合わせてインパクト大。親に連れられて長い時間沿道にいて疲れたんだろうなぁ。心からお疲れ様と言いたい。

来年も出よう

今回のハーフマラソン、快適な気候、お祭り感のある雰囲気、完走した達成感、完走後のビール、全部合わせてかなり満足度が高かった。

 

スケジュールが合えば来年以降も必ず参加したい。

 

フルマラソンに挑戦するかは悩ましいところ。途中フルマラソンのランナーと並走することがあったが、ハーフマラソンに比べて明らかにフィジカルレベルが高かった。やるならもうちょっとトレーニングをしないといけなさそうだ。

 

ということで、メルボルンの有名スポットを回るメルボルンラソン、おすすめです!

皆さんも気が向いたら是非。

家族のいない1週間

日本からオーストラリアに戻ってきて1週間が経った。実は妻と子供2人はまだ日本から帰ってきておらず、束の間の1人暮らしをしている。

 

短期間でも1人暮らしになるのは3年ぶりぐらい。

 

前回はコロナ騒動が始まった時で、緊急事態宣言とかでバタバタする中、コロナ患者の診療もしていた私は自宅に残り、息子の出産を控えた妻と娘は予定より早く里帰りしていた。記憶が薄れつつあるものの、特殊すぎる状況での緊張感とストレスで気分の浮き沈みが激しかったことは覚えている。あとは、ちょうど出願準備(主に書類集め)の佳境でもあったが、「それどころじゃないでしょ」となるかと思いきや、イベントや飲み会類が軒並み中止になったおかげで逆に作業が捗った記憶がある。

 

今回は久々の一人暮らしで「たまにはこんなのも気楽でいいなー」と思っていたけど、4日間ぐらいで飽きて、今は家族の帰りが待ち遠しい。明日空港に迎えに行くのが楽しみ。日本滞在と束の間の一人暮らしを通して、どうやら自分は「日常」を大事にする性格らしいということもよく分かった。

3個10ドルで買った冷凍食品(カレーやパスタ)で過ごす1週間。身体に良くない。

論文を書かないと

そんなことをぼーっと考える毎日でなかなかエンジンがかからないが、気づいたら今年も2ヶ月半しか残っていない。いつまでも旅行気分を引きずってはいられない。

 

今の私の直近の目標は帰国前に終えたプロジェクトの論文化。帰国前の2週間ぐらいでMethodsを書いて送り、ここ数日でIntroductionを書いてボスたちに送った。合間にやり残した結果の解析をちまちまやり、いよいよResultsを書き始めようかなというところ。膨大なデータをどうやってまとめたらいいか分からん、と思っていたが、図表のプランをボスたちと話してたら行ける気がしてきた。統計のことを学びつつ解析ソフトと格闘しながら進めている。

 

と、偉そうに書いてるが、どうにも調子が出ず本気を出せば1日で終わりそうなことを3日ぐらいかけてやっているだけ。

実験も再開しないと

復帰後はひとまずラボの他の人の実験を手伝うことから再開している。

 

ストップしている自分の実験もぼちぼち再開しないといけないが、残り2ヶ月で2回も学会の中断が入るし、論文も書かなきゃいけないので、無理やり実験をスケジューリングする気になれない。(こう書くとただのやる気の問題な気がしてくるし、実際その通りかもしれない。)

 

これだといつまでも再開できなくなりそうなので、とりあえず外部から応援に来てくれる研究者に「そろそろプロジェクト再開したいんですがどうですか?」とメールすることから始めてみた。どんだけ腰が重いんだ...という話。

学会発表

今月末には学会でアデレードに飛ぶ予定。オーストラリア・ニュージーランドの3団体の合同学会で、ワイナリーで有名なアデレードヒルのど真ん中で行われるらしい。

 

提出したアブストがよく書けていたようで、ありがたいことにPhD Finalist(優秀演題)に選ばれた。ボスからはせっかくなら1位獲れ!と言われたが、今の自分のプレゼン力・英語力では厳しいのは間違いない。ラボ内のPractice talkでしごかれて本番でいいプレゼンが出来ると嬉しい。

PhD後に向けて動き始める

11月頭でPhD開始後1年半、つまり最低期間3年の折り返し地点に到達する。そろそろPhD後のキャリアに向けて動き出さないといけない。

 

私の場合はPhD後は(研究を続けつつ)少なくとも数年はオーストラリアで医師として働くつもり。ただ、医師免許や専門医資格を書き換えるのは果てしない手続きが待ってるようだ。

まずはちゃんとした情報収集と書類集めを始めることにした。IELTSももう一度受けないといけないのでぼちぼち勉強を始める予定。

日本の学会活動

少し前の記事でも触れたレジェンドボスのインタビュー。

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他の3つの動画も含めて素晴らしい内容だったので、企画してくれた学会に少しでも貢献したいという気になって、「U35」なる若手グループにに参加することにした。(年齢で区切るのはどうなの、とかいう話は置いておく。)

 

Slackで自己紹介したら早速反響があって、研究留学に興味のある人たちに向けてZoomで話をする機会をもらった。

海外にいることもあり実地で貢献できることには限りがあるけど、国際交流の促進もテーマに掲げているようなのでその点で関われるといいなと思っている。個人的にもヨーロッパの学会との繋がりができたらかなりありがたい。

2年目の余裕?

ということで、今はまだ心に隙というか余裕が少しある状況。

 

一番の理由は実験が忙しくないからだが、帰国前にPhDの一大プロジェクトを終えられたこと、論文を1本出せたこと、日本で友人や家族と話したり励ましてもらったりしたことなど、1つ1つは小さいがそれらが確実に効いている。常に追い込まれていた1年目を思い出すと随分マシになったと思える。

 

今後また実験や発表準備に忙殺される時期も来るとは思うが、去年のようにそれだけに囚われて肉体的にも精神的にも追い込まれる状況は避けたい。

 

というのも、上にも書いたが、PhD後のキャリアを考えるともう少しsocialな場でのネットワーク作りに注力しないといけない。せめて何か爪痕を残せるぐらいにはなりたいけど、現状ではシャイさが勝ってしまってなかなか上手くいかない。もちろん英語力の問題もある。初対面の研究者と話が続かなすぎて辛い。PhDの後半戦はこの辺に労力を割くだけの余力を残しておきたい。

日本滞在の記録

今回はオーストラリア留学開始後、初めての一時帰国のことを書く。昨日オーストラリアに戻ってきたところ。忘れないうちに記録を残しておく。

メルボルン→日本の移動

移動はスクールホリデー初日の土曜日。

 

今回は①羽田着であること、②夜発便であることを優先したためシドニーで乗り継ぎ。メルボルン空港は思ったより空いていたし、子供達は機内ではテレビに釘付けでしばらくすると眠りに落ち、朝まで爆睡してくれたので助かった。

 

ただし乗り継ぎの待ち時間は結構大変だった。待ち時間が長くなると子供が退屈して騒ぎ出すが、かといって子連れでギリギリのスケジュールは危険すぎるというジレンマ。次回は朝発でもいいから直行便を選ぶ方が無難かもしれない。

 

そんなこんなで日曜朝に無事羽田に到着。到着早々朝ラー@せたがや。

久々の本格ラーメンは疲れた体に沁みた

 

その後羽田からバスで最寄り駅に行き、そこからタクシーでさらに移動。ちなみに滞在先は出発直前と同じ半分空家になっている実家。到着は出発からちょうど24時間が経過した頃だった。

 

到着日は9月にも関わらず真夏日で湿度も高く、移動で疲れた体にはかなりキツかった…。そういえば日本の夏こんなんだったな。

久々の日本を満喫

滞在の間は双方の友人に会ったり実家に行ったりして過ごした。あとはディズニーシーに行ったり温浴施設に行ったり大量の買い物をしたり。

 

寿司とかラーメンとかももちろん良いが、納豆ご飯とか厚切りトーストとか豚汁とか素朴な料理が身体に沁みる。ただ来日のすぐに息子以外の3人腹を下して食欲がイマイチという残念な展開に。海外旅行で腹を壊すのはよくあるけど逆は珍しいような。私は逆流性食道炎もあるし、もう20代の頃のように暴飲暴食することはできない身体になったのかもしれない。

松屋牛めし豚汁半熟卵セットが私の原点

妻の実家で出てきたご飯

コメダ珈琲

思い出の味、焼き鳥美鶏@関内

先輩に寿司をご馳走になった@上野

妻の思い出の味 鈴福@静岡

大宮で一番好きだったラーメン葱次郎

 

食べ物の話はこれぐらいにして...とにかく久々に友人や家族に会うのはとても楽しかった。皆全然変わってない。1年半しか経ってないから当たり前か。自分のために時間作ってくれたのも嬉しい。スケジュールの都合もあって会いたい人全員と会うことは叶わなかったけど、それはまた次回以降に。

大宮の通称くじら公園 娘の強い希望で再訪

久々の日本だったが、夏の蒸し暑さ、人の多さ、その辺は良くも悪くも全く変わってない。ちょっと変わったかなと思ったのはコロナがある程度収束したこと、そして物の値段が少しだけ上がっている気がしたことだろうか。

学会発表

日本滞在中の真面目な活動は2つ。1つは奨学金を出してくれている財団に直接挨拶に行くこと、そして国際学会に参加したこと。

 

財団への挨拶は都内の本部へ赴いて、写真を撮ったり昼食を食べながら近況報告をしたりした。出発前はコロナ禍だったこともあり、選考・授与式・他の奨学生との交流など全てオンラインでのやり取りだったので、対面でのやり取りは今回が初めてだった。この奨学金がなければ留学は実現できなかったので本当にありがたい。直接挨拶ができて感謝を伝えられて本当によかった。

 

そして学会について。国際学会ではあるが発表者は半分以上が日本人でプレッシャーは少なめだった。以前職場の先輩にも偶然会ったりして楽しかった。

肝心の発表はそれほど緊張もせずできたと思う。ただ質問の内容などから推察するに、聞いていた人たちが思った以上に私の研究領域に詳しくなかった模様。もっとバックグラウンドの説明に時間を割けばよかったかなと反省。また1ヶ月後ぐらいに今度はオーストラリア国内の学会で発表があるので頑張りたい。

 

今回の帰国はこの学会発表が大義名分だったので、ちゃんと発表をこなし、証拠写真も撮ってボスにも送ったのでとりあえず合格。滞在後半だったこともあって心の中は完全にだらけ切っていたのは秘密。

意外とメルボルンが恋しい

ということで2週間ちょっとの滞在を満喫して昨日メルボルンに帰ってきた。妻と子供たちはあと10日ほど日本に滞在予定である。

 

今回、とても楽しみにしていた一時帰国。

もちろん満喫はしたのだが、意外だったのは帰ってきた安心感より、旅行・非日常感が強かったこと。なんだか落ち着かなくて、日常・ホーム、つまりメルボルンが恋しくなる瞬間が何度もあった。

 

日本に来てこんな感情が芽生えるとは予想していなかったけど、これはむしろ前向きに捉えたい。自分が思っているよりずっとメルボルンに適応してエンジョイできているという証拠だ。

 

広々とした街並み、カラッとした夏の気候、そして子供に優しい雰囲気など、メルボルンにも良いところはいっぱいあるなと改めて感じることができたのは思わぬ収穫だった。

 

昨日オーストラリアに戻ってきて、今日一日たっぷり寝て、明日からまた仕事に戻る。

 

オフモードからの切り替えは大変だけど、一時帰国前よりは前向きに頑張れそう。

クリスマス休暇まであと2ヶ月とちょっと、頑張るぞー。

静岡の古民家カフェ 日本を感じる

論文アクセプト

日本出発直前に朗報が。

 

ついにオーストラリアに来て初めての論文がアクセプトされた。これで安心して日本に旅立てる。

 

朗報を受け取ったのは月曜朝。起きて携帯を確認して、アクセプトのメールより先にボスの祝福コメントを見た。(ボスは論文がアクセプト度にラボのWhatsupグループにメールのスクショを添えて祝福コメントを載せる。)

論文化までのタイムライン

今回論文になったのは昨年末にやっていた実験。


実験から論文化までのスケジュールはこんな感じ。

  • 2022/10-12 実験
  • 2023/1 サンプルを外部機関に届ける
  • 2023/4 結果を受け取る(その後PhD関連の発表やら審査などで放置)
  • 2023/6 論文を書き始める
  • 2023/7 論文投稿
  • 2023/9 アクセプト

 

投稿からアクセプトまでの流れをもう少し詳しく書くとこんな感じ。

  • 7/3 投稿
  • 7/21 Minor revisionで返ってくる
  • 7/28 再投稿
  • 7/31 事務方から書式などの修正依頼→即日対応
  • 9/11 アクセプト

Reviewerからのフィードバック

投稿先はIF3程度の臨床系雑誌。

Reviewerは2名だった。コメントの内容を見るにどちらも医師だろう。

 

1人目は割と丁寧なフィードバックをくれた。が、追加の実験や大幅な修正は必要がない内容。よかった。書き方的に引用した論文の著者だと思う。

 

2人目はたった2行のコメント。あまりちゃんと読んでないのではと思った。忙しかったのか私の論文に興味がわかなかったのか…

 

そんなこんなで全体的にあっさりとしたコメントだったので、1つ1つ丁寧に対応して、1週間で再投稿。

 

そこからが結構長くて3週間ほど"with editor"の状況が続き、"in review"になって2週間ほどでアクセプトの連絡が来た。

"with editor"の期間が長かったので新たなreviewerを探してるのか?などと邪推したがそんなことはなかった。アクセプトのメールには同じReviewer達からそれぞれ2行くらいのコメント(「指摘した点に対応しているのでOKです」)がついていた。

 

実験自体は結構大変だったけど、追加のmolecular work(例えばタンパクの解析とか)は全くなく非常にシンプル。論文のメインメッセージもシンプル、おまけにReviewerからのコメントもシンプルだったので、非常にスムーズに論文化までたどり着いた。ボスには「次のやつはこんな楽じゃないから覚悟しとけー」と言われた。

 

実はこれには1つ裏話があって、雑誌のChief editorがラストオーサー(レジェンドボス)とかなり仲が良いらしい。彼自身は直接査読には関わってないと思うけどアクセプトへの後押しにはなっていそう。

そんなのあり?と思ったけど、ボスたち曰く、Nature、Science、NEJM、JAMAといった最高峰の雑誌であろうと、編集者たちに顔が知れていることはとても大事なことらしい。(もちろんそうじゃなくても採択されることはたくさんある。)

 

日本人的感覚からするとちょっとフェアじゃない気もするが、海外ではツテとか対外的なアピールがとても大事なことはこの1年ちょっとで何度も体感したから、まあそんなもんかとも思う。いやどうなんだろう。「真面目にやっていればどこかで誰かが見ていてくれる」ではダメ、がここにも適応されるのか?だとしたら自分もボス達のネームバリューが使えるうちに名前を売っとかないといけない。

初めての論文が持つ意義は...

この実験・論文自体は博士論文には含まれない。(もちろんAppendixには載せる。)

 

理由は単純で、半分企業案件だから。

臨床的な価値はあると思うが、「留学してこれをやりました!」と胸を張って言うのはちょっと微妙。

ボスには博士論文に含めてもいいのでは?と言われたがので丁重に断った。

 

でもこの論文は自分にとってはとても価値のあるもの。

 

レジェンドボスと直接やり取りしながら論文を書き上げる。毎回緊張したし死ぬほど直されたがとても良い経験だった。

 

メイン研究の準備としてとても役に立った(だからラボとしてこの実験を引き受けたというのもある)し、何より動物実験をして論文を書き上げるという一連の流れを体感できたのがよかった。

 

経済的にも実績的にもラボにも貢献できて、色んなサポートを受けている身としては少し肩の荷がおりた気分。

 

今は先日終えたPhDプロジェクトの論文を書き始めたところ。

日本から帰ってきたら本格的に取り組んで、年内か年明け早々の投稿を目指す。

なぜボスたちはスペシャルなのか

最近、私が所属する日本集中治療医学会が設立50周年を迎えた。その記念としてオーストラリア・ニュージランドの集中治療医へのインタビューするという特別企画があった。

www.jsicm.org

その中の1つに私のPhDの指導教官の1人(このブログでは通称レジェンドボス)へのインタビューがある。

 

彼は40年以上のキャリアの中で1400本以上の論文をpublishしている生ける伝説のような人だ。

 

そんな彼が、日本の集中治療領域の研究が世界に遅れを取っていることをはっきり指摘した上で、自身の経験を交えながら日本の若手の集中治療医がどうあるべきかを語っている。日本の全ての集中治療医が正座して聞く価値のある素晴らしい動画である。

 

特に私の印象に残った話の一つが、彼の自身の仕事に対する思いだ。

 

When I wake up in the morning, I really want to go to work.

 

I really love research. I don't do it as a job.

It is a passion. It really matters a lot to me in a way that is beyond work.

It's about discovery. It's about curiosity. It's about trying to find the truth. It's about honesty. It's about the intellectual challenge. It's about the journay... It's a real pleasure for me.

 

もちろんインタビューだから多少かっこいいことは言っているんだろうが、彼の働きぶりを見聞きしていると9割以上は本当なんだろうと思う。

 

これを聞いて私は「ああ、これが突き抜けた人の考え方なのか」と納得した。そして同時に「自分はこの人のようにはなれない」とも感じた。

 

 

私だって研究をやりたくてやっているし、その基礎作りのために留学に来ている。

 

そこには「困難を乗り越えて何かを成し遂げたい」「新しいことにチャレンジしたい」とかそういうモチベーションがある。

 

だけどそこには自分のやっていることが「大変で辛いもの」という前提がある。

 

だからやっぱり仕事はサボりたいし、朝はゆっくりしたいし、取れるなら長い休暇を取りたい。それをさせないのは自律心であり責任感であり向上心であり、世の中に貢献したいという気持ちである。

 

しかし、私が「自分を追い込んでやっていること」は彼にとっては「楽しくて仕方のないこと」らしい。

 

私は「楽しくて仕方がない」なんて嘘でもいえない。「大変だけどやりがいがあるから頑張ってるよ。こんな環境にいられてありがたい。」が最大限の言葉。

 

 

…そりゃ敵いませんわ。

 

こう思うのは私がまだ下積み段階だからであって、実績を積めば彼のようなマインドセットになる可能性もなくはない。ただ直感的にはそうではない。何かが根本的に違う気がするのだ。

 

私が思うに世の中の99.9%は私のような人間だ。外からはself-motivatedに見える人の多くもそう。というか私だって端から見ればself-motivatedな人間に見えるはずだ。わざわざ仕事を辞めて海外にPhDをやりに来たんだから。

 

 

だけどごく稀に、仕事が楽しくて仕方ない、あるいは仕事を仕事と思っていない人たちがいる。

 

何かとてつもないことを成し遂げる、いわゆるスペシャルワンと呼ばれるのは、そういうマインドセットを持つ人たちなのではなかろうか。私のような人間とやっていることは同じでも、そこには埋められない差がある気がしてならない。

 

自分がレジェンドボスのようになれるとは露とも思ってなかったけど、改めてその違いを実感した。

 

そういえば私の正指導教官(通称若ボス)も「毎朝研究のことを考えて仕事行くのが楽しみ」と言っていたな。彼も異常な速さで実績を積み上げている、スペシャルワンの有力候補である。

 

 

そんなスペシャルな人たちと身近で働けて幸せ、ではあるのだけど。

 

今風に言うと、「憧れるのをやめられません」。ちょっと古いか。

 

 

いや、私みたいなスペシャルでない人間だってそれなりの高みに行けるはずだから、まだまだ頑張りますよ。

 

 

そんな彼の動画、集中治療医でなくても、なんなら医療関係者でなくても研究に関わる人なら見る価値があると思うのでよかったらどうぞ。(4番目がその動画。)

www.jsicm.org