集中治療医のStudy Melbourne

麻酔科系集中治療医が家族4人でオーストラリア・メルボルンへ博士課程留学!初めての海外研究生活、メルボルンライフの模様をお送りします!

一時帰国に向けて(研究の話)

9月中旬に学会発表+休暇のため日本に一時帰国予定。いよいよあと2週間だ。本当に楽しみ。

 

それに合わせて研究生活もこれまでの成果をまとめる方向にシフトしている。

PhDのプロジェクト①が(一旦)終了

私のプロジェクトではメインの実験から4週間データを取る必要があるので、私の不在に合わせてメインの実験も8月中旬が最後になった。失敗がしばらく続いていたが最後の最後で上手くいってよかった。

その後の半月で主要な結果を解析して9月頭に指導教官たちとミーティング。十分なデータが集まっていそうなので、このプロジェクト自体を終了して論文執筆を目指すことになった。

 

週明けの月曜火曜に最後のサブ実験をすれば、1年半近く心血注いだプロジェクトをついに終えられるのだ!めちゃくちゃ嬉しい。(後になってやっぱりもう少しやらないと、となる可能性はある。)

 

しかしまだまだ道は長い。メインの解析は終わったが細かいデータの解析、統計処理などやることはたくさんある。そもそも集めたデータが膨大なので、解析に終わりが見えない。(しかも大半はmain bodyに入りきらずsupplement行きになるはず。)コツコツ進めてはいるが気が遠くなりそう。日本に行くまでに終わらせたいけど現実的にはちょっと厳しいかなというところ。

 

メインの結果自体は心躍るところもあれば残念なところもある。科学実験とはそういうもので、"What we get is what we get."なのだ、と頭では分かっているけど、これまで費やした時間と労力が半端ないのでいちいち一喜一憂して無駄なエネルギーを消費している。

 

この巨大プロジェクトからは最低でも3本の論文が書けるはず。その1本目を年内〜年明け早くに投稿するのが目標。

 

コツコツ解析を進めて、まずはMethodsとIntroを書き上げる、、を10月を中旬までに済ませたい。

日本での学会発表での準備

先日アブスト審査の結果が送られてきて無事Oralに採用された。小さい国際学会とはいえ109本のアブストから上位20本に生き残ったらしい。

 

日本で発表するのは上記のプロジェクトの結果の一部。まとめた結果を元にスライドを作り、先週月曜日に指導教官たちの前でpractice talkをした。少し早めのスケジュールなのは、正指導教官が休暇+学会で1ヶ月ほど海外出張に行くため(既に旅立った)。もらったフィードバックを元に修正して、日本に行く前にラボメンバーの前でもう一度practice talkをする予定。

 

学内発表を除いては留学に来て初めての学会発表なので気合いを入れて頑張りたい。

アブスト提出×2

年内に学会発表の予定がもう2つ。1つ目は10月末にアデレードヒルでの大きめの国内学会。こちらは8月末にアブストを提出して先日採用の通知が来た。oralになるかポスターになるかはまだ分からない。

 

もう1つは12月末の国内学会。規模も小さく会場も大学構内なので内輪感あり。こちらは日本滞在中にアブスト提出の期限が来るのでできれば出発前に提出してしまいたい。

 

どちらの学会も上記のプロジェクトの結果を焦点を変えて発表するというもの。

コツコツと経験を積み重ねて、来年はいよいよ大きい国際学会で発表、というのが今の計画。

投稿した論文の結果待ち

6月末の記事で投稿間近と書いた論文。

詳しくはアクセプトされた時点で単独で記事にするつもりだが、7月頭に投稿し、2週間ほどでminor revisionで返ってきた。

5日ほどでせっせと修正して再投稿、早めに良いニュースが聞けるかなと期待していたがそこから1ヶ月以上音沙汰なし。

 

まさか1回目と違う追加のreviewerに回されたのか?

さすがにここからrejectはないと願いたいが、再度revisionで返ってきて日本滞在中に作業する羽目になるのも嫌。

 

早く続報が来ないかと首を長くして待っているところ。

その他の諸々

他には帰国後に行う実験のための倫理審査書類の準備、ポスドクから回ってきたpeer reviewなど細かい作業をちまちまやっている。

 

正直なところ、長く取り組んできたプロジェクトが終わって(終わりそう)疲れがどっと出てあまり頭が働かない。

 

おまけに40年以上勤めたスタッフの送別会があったり、その後ボスが出張に旅立ったりでラボ全体も若干気が抜けた雰囲気。気候が春めいてきたこともあり正直四六時中眠い。

 

が、日本滞在を最大限エンジョイするためにはそんなことは言ってられない。

残り2週間でできる限りの仕事をこなして気兼ねなく日本に旅立ちたい。

最近行ったChesterfield farm 昼間はコートがいらないぐらい暖かい

 

壁にぶつかる娘、乗り越えた息子

気づけば前回更新から1ヶ月経ってしまった。。。

今日はここ最近の子供たちの様子を。

 

オーストラリアに来て1年半弱、適応力で家族3人を圧倒的にリードしてきた娘。その様子は何度かブログにも書いた通り。

taku-fcb.hatenablog.com

そんな娘が最近はどうも調子が悪い。いわゆる「登校しぶり」がひどいのだ。

 

毎朝妻と一緒に学校に行くまでは至って順調なのに、いざバイバイしようとすると全力で拒否。妻がハグやハイタッチをして送り出そうとしても、先生やクラスメイトが優しく招き入れようとしてくれてもほとんど効果なし。

 

2ターム目の初めから登校しぶりが始まり、当初はさして気にするほどではなかったのだが、ここ1〜2ヶ月で急激に悪化。遂に先日、教室に入るのを拒む娘をどうしても説得できず、娘が学校のオフィスに連れていかれるという事件が起こった。

 

ネットで調べると原因になりうることが色々書いてあるが、どれもあまりピンとこない。

 

例えばひどいイジメにあっているわけではなさそうだし、本人に聞いても「だってママとバイバイしたくないんだもん」としか言わない。

 

親の愛情不足も影響するかもというので、子供への接し方を変えてみたりした(なるべく叱らないようにするなど)があまり効果は得られなかった。

 

そんな中つい最近、プチ参観的なイベントがあった。

私たちは夫婦で参加したのだが、そこで目にしたのは、、、完全には馴染みきれていないように見える娘の姿だった。「一緒に遊んでもいい?」と聞いてNo!と言われて落ち込む娘、入れる輪がなくて一人で遊び始める娘。

 

 

...実際にはそんな大袈裟なものではなくて、同じような子は何人もいるし、2人で夢中に遊んでいるところに入ろうとして嫌がられるのは特に女の子にはよくありそうなことだ。楽しそうに会話している瞬間ももちろんあった。登校しぶりがなければ気にならない程度だったと思う。

 

それでも、明るさが一番の取り柄だったはずの娘が仲間に入れずシクシクしているのを見ると胸が痛む。娘を現地校に放り込んだ選択が良くなかったのだろうか、せめて1年遅らせた方が良かったんだろうか、私たちの愛情が足りていないんだろうか、などと自分達を責められたような気持ちになって夫婦で頭を抱えてしまった。

 

結局オフィス直行になったのは1日だけで、その次の日からは少々渋りながも教室には入れるようになったらしい。担任の先生が娘と直接話をしてくれたらしいのでそれが効いたのかもしれないし、ただ精神的な揺らぎの底を見ていただけなのかもしれない。

 

結局登校しぶりの原因は今も分からないままだが、親としてできる限りのサポートはして、あとは見守るしかない。

 

もしかしたらこれも成長の過程なのかもしれない。これまで相手の反応も気にせず一方的に話しかけるドッチボールスタイルのコミュニケーションが主だった娘が、相手の反応を感じ取れるようになり、時折生まれるネガティブな感情に向き合っている。こういう経験を経て言葉のキャッチボールが成り立つようになり、他人と適切な人間関係を築くことができるようになるはずだ。...ともっともらしい理屈を整えて、あまり悩みすぎないことにする。

Phonixから英語を学ぶと...

そんなちょっと心配な娘だが英語力は順調に向上中。流暢さだけなら最早親たちを凌駕しているかもしれない。

 

最近は学校でライティングの授業があるようで、これが結構面白い。

子供たちはPhonix(音)から学習をスタートしているので、ライティングの際には聞こえた文章をphonixにあてはめて文字起こししていくのだ。

単語の間のスペースを忘れるのもあるあるらしい。これも自分達では考えられない

When I grow up, I goin (am going) to be a Rapazou (Rapunzel) bicos (because) Rapansol is long long hre (hair) and she is so much cind (kind) and Rapansou is byrdfil (beautiful).

綴りはまだメチャクチャ(それでも短期間でかなり進歩している)だが、自分達の英語の学び方との違いがはっきり見えて興味深い。

落ち着いてきた息子

一方、5月から週に一度保育園に通い始めた息子。最初は毎週体調を崩していたがようやくその波が収まって我が家にも平穏が訪れつつある。

 

当初行くのを嫌がっていたのも最近ではなくなり、むしろ親から離れて何かをできることに誇りを感じているようだ。同年代の子供たちとも仲良く遊べるようになってきたようで安心した。

 

担当保育士の話では、彼らの言っていることは概ね理解している様子で、本人も"Yes", "No", "More"といった簡単な言葉を返しているらしい。

先日いきなり"Can I have ice cream?"と発したのにはびっくりした。子供の脳みそ、恐るべし。

 

来年度からは娘が通っていた幼稚園に通えることが決まってこちらも一安心。

 

まさか息子より娘への心配が大きくなる日が来るとは...!

 

...なんて話していたら、本日になって以前悩まされていた足の痛みが久々に再発した模様。なぜ今さら。

 

一難去ってまた一難。

 

当分心配の種がなくなることはなさそう。

 

だけどこれが平常運転だと思えば、ある意味平和な日々だとも言えるかもしれない。

Ballaratへ冬の旅行 後編

前回の続き。

taku-fcb.hatenablog.com

2日目:ローカルパン屋のクロワッサンが美味しい

2日目は7時半頃に起きて家から持ってきたパンを食べる。

 

しかし娘はカフェで何かを食べたいと主張。パンには一切手をつけず、チーズとハムだけ食べるという抗議活動に出た。段々賢くなっている…。

 

まあいいかと思ってカフェを探すと良さげなパン屋を発見、早速そこへ向かう。

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お店もオシャレでパンの種類も豊富で誰も美味しそう。クロワッサンが特に美味しそうだったのでそれをテイクアウェイすることに。

 

夫婦で1つ&子供たちで1つで済まそうと思っていたら、息子が1つずつ食べたいと癇癪を発動。仕方なく列に並び直して追加で1個購入。で結局、息子は食べきれず、半分以上残した。

 

しかしこのクロワッサンが激うまだった。層が細かくて香りも立ち、感動の美味しさ。

 

次の旅行先でもローカルのパン屋を発掘してみよう。

Ballarat Wildlife Parkへ

気を取り直して、Wildlife Parkへ。

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例によってカンガルーやエミューがそこら辺にいて餌やりができる。

通路でくつろぐカンガルー

さらにこのWildlife Parkの魅力はコアラと間近で写真を撮れること。(当日に園内での申し込みが必要。)せっかくの機会なのでやってみることに。

 

私の時は6組申し込みがいて、園スタッフに導かれて順番にコアラ4匹のすぐ脇へ。州の決まりで抱っこはできないが軽く触れたり撫でたりは許してくれる。

 

これまでの人生でコアラに再接近。

コアラの背中はふわふわだった

メルボルン近郊にある3大動物園もそれぞれ魅力的だけど、田舎のwildlife parkは動物たちとの距離が近くて餌やりもできるのがいいところ。子供たちも楽しそうだった。

昼食を食べて帰路に

大満足で動物園を後にして、最後はまた街に戻ってハンバーガー屋で昼食をとった。ハンバーガーと山盛りポテトで旅の締め。

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往路と同様、のどかな風景の中を1時間半ほど走ってメルボルンの街に戻ってきた。

旅の感想

冬の旅行、大学院生活で色々ストレスが溜まっていたので良い息抜きになった。特にSovereign Hillのライトアップは圧巻。遠くまで来てよかったと思えた。

 

飛行機で他の州や近場の海外にも行ってみたいところだけど、車で州内を旅行するのも悪くない。短期滞在では行かないであろう田舎に行くと、いつもと違うオーストラリアの魅力を発見できる。

 

旅行した週は寒かったが、その後は寒さも和らぎ、今年の冬は去年に比べて天気も良いしかなり暖かい。少なくとも去年よりはメルボルンの冬を楽しめているような。

 

次は旅行は9月の日本への一時帰国。楽しみで仕方ない。

 

ということで冬のBallarat旅行の話、おしまい。

Ballaratへ冬の旅行 前編

先週末、スクールホリデー&私も土日両方休みが取れたので、1泊2日でBallaratに旅行に行ってきた。

Ballaratってどこ?

Ballaratはメルボルンから西に120kmほどのところにある街。自宅から車で1時間半ほど。約10万人が住むビクトリア州で3番目に人口の多い都市。

メルボルンからは120kmほど離れた街Ballarat

今回ここを旅行先にチョイスしたのは娘のprimary schoolのオージーママ友がオススメしてくれたから。

 

結果、楽しい旅行になった。

1日目:出発

軽く朝ごはんを食べて土曜の9時頃に出発。シティの渋滞を抜けて西に向けて走る。

 

シティから30分も走れば、オーストラリアの広大な土地とその中を優雅に歩く動物たちに出会える。そんなのどかな風景がオーストラリアの魅力の1つ。

海外にいることを思い出させてくれるこんな風景が好き 黒い点々は放牧されている牛たち

Ballaratの街並み

時々雨が降るあいにくの天気ではあったが、安全運転で無事Ballaratに到着。

 

早速街の中心部へ行く。レトロな建物が並ぶ雰囲気の良い街だった。

もうちょっと上手に写真撮りたかった

元々田舎町だったBallaratは、1850年代に近郊で金が発見され、ゴールドラッシュによって繁栄したそう。その頃に建てられたビクトリア朝の建築物が今も多く保存されている。

 

さらにこの街はオーストラリアの歴史上唯一の武力蜂起である「ユーレカの反乱Eureka Rebellion」が起きた地としても有名とのこと。1854年に金採掘労働者によって起きたこの反乱はオーストラリアの民主主義の原点となったのだとか。

傘がいっぱいつるされた小道

そんな歴史に思いを馳せたり馳せなかったりして(子供たちの相手で必死)、小腹が空いたので近くのカフェへ。

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ブルスケッタが美味しかった

Sovereign Hill

カフェご飯を美味しくいただいた後はこの街一番の観光スポット、Sovereign Hillへ。

 

Sovereign Hillはゴールドラッシュで繁栄した街並みを再現したテーマパーク。ワインの名前(Sauvignon Blanc)みたいだけどソヴリンと発音するそうです。

 

後で出てくる夜のイベントがお目当てだったけど、特に他にやることもないので昼間のうちに行ってみることにした。

www.sovereignhill.com.au

当時の街並みが再現され、当時の服を纏ったスタッフたちに囲まれて西部劇の中にいるような気分になった。

しかし子供たちはそんなことには興味がなくて、雨上がりでぬかるんだ地面と他の子供たちが持つ巨大りんご飴に夢中。

 

店を探し出してりんご飴を購入。りんご飴って日本のものかと思っていたら実はアメリカ発祥らしい。オーストラリアではToffee appleと呼ぶそうだ。

巨大りんご飴 激甘だった

そんなこんなでしばらくははしゃぐ子供たちの相手をしていたが、息子はぬかるみで派手に転ぶし、最終的に親たちまで泥まみれになり疲弊。早めに退散して宿に移動することになった。

スパ付きの宿、寒かった

今回は直前で旅行を計画したので、近場で手頃な値段の宿が確保できず。滞在先は車で30分ほど離れたMeredithという街のAirbnbに泊まった。

 

古めの一軒家で、なぜかスパがついている物件。

 

隣に住んでるオーナーはいい人だったけど、めちゃくちゃ寒かった。

 

スパはドアを入ってすぐの広めのスペースにドンと置かれていて、水着を着て入ってくださいとのこと。

気持ちよかったけど、38℃の温度設定は日本人にはちょっと低いし、風呂上がりが寒すぎて親たちは1回で断念。子供たちは大喜びで夜の外出から帰ってきた後もまた入っていた。

夕食、そして夜のSovereign Hillへ

一休みした後はまた車でBallaratへ戻る。ちょうど日暮れの時間で野生の動物が飛び出してこないか少し心配だった。

 

夕食は街の中心部のピザ屋で。ここもかなり美味しかった。

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大ぶりのエビがたっぷり乗ったピザ

そしていよいよこの旅のメインイベント、夜のSovereign Hillへ。

www.sovereignhill.com.au

一歩足を踏み入れると昼間とは一変、夢のような景色が広がっていた!!

プロジェクションマッピングと粉雪をもしたシャボン玉で幻想的な雰囲気

建物の上からは時折花火が噴き出す

素晴らしい雰囲気だけに混雑具合もなかなか

もちろん子供たちは大はしゃぎ、大人も心躍る素晴らしい雰囲気で大満足。

 

あと、季節外れのサンタにも遭遇。Christmas in July的な意味合いなのかな。

娘は「サンタさんてここに住んでたんだ...」と1人納得していた

ちなみにこのサンタ、写真待ちで行列する人たちを残して、イベント終了時間の19時きっかりに引き上げていった。サンタにも労働者の権利は発生するらしい。さすがオーストラリア。

 

この旅のメインイベントで大満足したところで1日目は終了。滞在先に戻って暖房をガンガンにかけて就寝。

 

後編へ続く。

初論文投稿間近、学会アブスト提出

今回は最近の研究の様子を。

 

最近は実験自体のスケジュールはそこまでキツくないが、その代わりに論文の執筆、学会アブストの準備、メールの返信、倫理審査書類やインシデントレポートの準備など、細かいタスクがいっぱい。

 

管理しきれなくなってきたのでiPhoneのReminderでTo-do listを作ってそれをひたすらこなすスタイルを導入した。まだ初めて1ヶ月ぐらいだけどこれが結構いい感じ。1つ1つは大したことないタスクでも複数個やれば1日の終わりにそれなりの達成感を得られる。

 

日本にいた時も一時使っていたけど、結局その時はリストを作るのに時間取られるからやめた。今回はどれぐらい続くだろうか。

実験

PhDの2大プロジェクトのうち1つは、いよいよ一本論文が書けそうなところまで来た。

メインの実験が良いところまで進んだというだけで、採取した検体を外に検査に出したり、自分で処理して測定したりといった作業があるのでまだまだ先は長いのだが、これはかなりのプラス要素。

 

一方で、悪いニュースも。このプロジェクトに関わる実験のうち、昨年終えた分の検体を外に検査に出していた。その結果がようやく返ってきたのだが、、、それが相当いまいちだった。何がいまいちって、結果が予想外とかそういう話ではなく、そもそも測定自体が上手くいっていない疑惑。

 

最悪、1年ちょいの労力の3-4割が無駄になるかもしれない。それかさらに追加実験が必要になってプロジェクトの終わりが遥か後ろにずれ込んでしまうかも。どちらになっても相当シンドい。ああ、、、。

 

「科学実験で一番大事なのはベースラインの測定だよ」と一番ベテランの指導教官(旧ボス)に何回も言われたけど、それを身をもって体感しているところ。

 

実験って一筋縄ではいかないなあ。プロトコルを見直したり、もう少し細部に気を配ってやったり、そういうことが必要になりそう。

 

もう1つのプロジェクトは、正指導教官(以下、若ボス)とも相談して、今やっているプロジェクトがひと段落するまで完全放置の方針に。こちらは年明けぐらいから本腰を入れてやることになるのかな。PhD期間中に終わるのか少し心配だけど今は考えないことにしている。

初めての論文、もうすぐSubmit

去年終わりに死ぬ気でやった実験の一部を、この1ヶ月で論文として書き上げてまもなく投稿できそう。前回研究について記事にした時に、

勢いで「6月末までに書き上げます!」と言ったけど多分無理。どうしよう。

って言ってたやつ。

 

6月頭ぐらいから指導教官の1人(集中治療界のレジェンド、以下レジェンドボス)が急にすごいプレッシャーをかけてくるようになって、尻を叩かれまくって、死ぬ気で仕上げた。

 

今回はレジェンドボスがコレスポなので、彼と直接のやり取り。(正指導教官の若ボスは必要に応じて横から援護射撃してくれる感じ。)

レジェンドに自分のう◯ちみたいな原稿を添削してもらえるなんて恐れ多いなあ、怖いなあ、でもありがたいなあ、という複雑な心境。

 

しかし苦労して書いて金曜の15時に送信して、これでちょっと穏やかな週末を迎えられると思ったら18時にフィードバックが返ってきてLook forward to a document with all that early next weekって言われた時はさすがに震えた。

 

若ボスには「Keep him happy。今後のキャリアのためにも彼を味方につけといた方がいいよ。頑張れ、ハハハ(半分他人事)」と言われたし、日本人なら締め切りは守るっしょ、的な勝手な使命感にも駆られて頑張った。子供から風邪をもらって熱出して数日寝込んだ時も、実験はぜーんぶスキップするかラボの同僚にお願いしたけど、論文だけは書いて送り返した。死ぬかと思った。

 

途中、"I have made lots of changes (see attached), which I haven't tracked to avoid chaos :)"というメッセージとともに「俺のオリジナルの文章どこいった?」レベルの原稿が送り返されてきたこともあったけど←、無の境地で食らいついた。

 

先週のうちにレジェンドボス+私(+若ボス)で原稿を仕上げて、共著者全員に最終原稿を送った。もらったフィードバックをもとに修正を加えたものをレジェンドボスに送信したのが今日の午後。最終確認でOKが出ればいよいよ投稿することになりそう。

 

ターゲット雑誌はIF3.3ぐらいの雑誌。マイナーな部類に入る雑誌だと思う。アクセプトされるのかは、、、正直予想がつかない。PhDとは直接関連がないとはいえオーストラリアに来て初めて投稿する論文だし、あまり長旅にならないことを願うばかりである。

日本の学会のアブストラクトを提出

もう1つ直近の大事なタスクが日本で開かれる学会へのアブストの提出。

 

元々「1年の審査終わったら日本に一時帰国したいっす」って若ボスに相談したら「9月まで待てる?東京で学会があって、俺は行けないんだけど、そこで発表すれば旅費の補助も出るしいいと思うんだけど」と言われて飛びついたやつ。

 

規模は小さいながら立派な国際学会、でも参加者は多分半分以上日本人、といういい感じの学会。一時帰国の口実にぴったり、とは言っていない。

 

こちらはPhDのメインプロジェクトの結果の一部分を発表予定で、アブストの提出期限が6月末、つまり明日だった。

 

こちらは若ボスとのやり取りで進めていった。

 

10日ぐらい前から準備を初めて、"If I was a judge, I would mark this poorly."(俺が審査する立場だったら点数超低いよ。)なんて厳しめのコメントをくらいながら何度か修正を重ねて、共同研究者の何人かからもフィードバックをもらって、最終的には若ボスもご満悦の仕上がりなった。

 

ということで期限1日前の本日、無事提出!

 

日本行きのチケットを勝ち取った気分になって達成感に浸る。

 

もちろん、アクセプトされなくても日本には一時帰国する、絶対。むしろそれならそれでノンプレッシャーで滞在を楽しめるからいいかもしれない、と邪なことは決して考えていませんよ。

採否通知は8月初旬の予定。無事アクセプトされますように。

まとめ:少しずつ実を結ぶ...?

1年ちょいが経過して、これまで苦労してやってきた研究の成果を少しずつアウトプットできる段階にきたと言えるかもしれない。これは素直に喜びたい。

 

ボスたちのタフなコメントに嫌な汗はたくさん出るが、「ありがたや、ありがたや」と呟きながら無の境地に至れば、全然大丈夫。(むしろ日本にいる時こんなので後輩の指導モドキみたいなことやってたの大丈夫だったのかな、と今更ながら心配になる。)

 

論文の早めの着地、アブスト採択、どちらも上手くいきますように。

先月遊びに行ったGumbuya World(遊園地+動物園)がとても良かった

gumbuya.com.au

近くのlookoutからの眺め 近くのワイナリーにも立ち寄った

息子が保育園へ

今回は息子が保育園デビューした話。

幼稚園kindergartenと保育園child care

先週ついに3歳になった息子は2024年1月末から幼稚園(3歳キンダー、日本でいう年少)に通い始める学年。こちらの方は来年度に向けて既に申し込みを終え、幼稚園からのオファーを待っている状況。

 

留学前の予定では、幼稚園開始まではどこにも通わせなくて良いかなと思っていた。

子供を保育園に入れる上での一番のネックは費用。オーストラリアの保育は日本に比べて非常に高額である。保育園により多少違いはあるが概ね$140-170/日程度。週5なら約25万円/月で余裕で家賃を超えてくる。

 

永住権があれば収入に応じて補助が出るようだが(Child care subsidy)、学生ビザは対象外なのでfull feeがかかる。

www.servicesaustralia.gov.au

ということを留学前から聞いていたので、保育園に入れることを躊躇していた。

 

しかし実際に生活してみると、幼稚園→小学校へと駆け上がっている娘に比べ、圧倒的に外界との交流が少ない息子。コロナ真っ只中で産まれ、日本でさえ外と接する機会が少なかったのに、期間限定かもしれない海外生活でこれは勿体なさすぎる。

 

ということで検討を重ね、少なくとも来年幼稚園に入るまでの8ヶ月ぐらいの間、保育園に入れることに決めた。

保育園に入れようと思ったら

保育園に入れよう!と思ったら、まずは近くの保育園をいくつかピックアップし、ウェブフォーム、メールまたは電話で連絡を取る必要がある。連絡先はカウンシル(自治体的な?)のこともあるし保育園に直接連絡すべしというパターンもあった。

いずれにしても問い合わせをすると大抵は電話でやり取りすることになって、大体の空き状況を教えてくれるのと、見学ツアーの予約ができる。

自宅周辺の保育園をいくつかピックアップして見学へ行く。

 

園によって違うのは、雰囲気・広さ・子供の数(人口密度)はもちろん

・時間:大体朝7時〜夜7時ぐらいだが微妙に違いあり

・最低の日数:週1日のところもあれば週2以上のところもある

・値段:$130-170/日と微妙に幅がある

といったところ。

 

基本的にはどこの保育園も送迎の時間に関係なく1日分の料金がかかるシステム。

また、数は少ないが園によっては半日保育のシステムがあって、お値段もその分お手頃で$60/日程度。

この辺、保育園や州のHPを見てもなかなか理解できなくて、見学の時にその都度聞く、ということを繰り返していた。

見学→保育園決定→入園手続き

我が家は3ヶ所に見学へ。

せっかくなので軽く違いをまとめてみると

  1. 園や先生の雰囲気は良かった。人口密度高め、最低週2日の必要あり、1日約$170と高め。
  2. マンションの一角4フロアを保育園にした形で良くも悪くも都会的な感じ。週1日でも可でさらにその日に空きがあれば単発で預けることが可能(casual care)。値段は$150/日程度と平均ぐらい。園の雰囲気はよかった。
  3. 設備自体は②と同じ感じ。$140/日で一番安い。見学やその後の対応が結構あっさりしていてあまり歓迎されてない感じ?

という感じ。

ちなみに3ヶ所とも日本人の保育士が所属しており、1と2には日本人の児童もいるとのことだった。

 

で、結局ほぼ迷わず2番目のところに決定。

園に入園の意志を伝えた上で、20ページぐらいの入園書類に色々記入して提出。

 

無事手続きは完了して翌週から早速通園できることになった。

ついに保育園デビュー!

迎えた初日。

 

しばらく前から「保育園に行けるなんてすごい」「保育園は本当に楽しいところだよ」的なポジティブな言葉をかけ続けた結果、息子は喜んで保育園へ旅立った。

 

昼寝もして、ご飯も食べて、通園後はドヤ顔で「保育園で〇〇した!」とアピールしてくる。

日本語で(英語ではない)饒舌に話す様子を見るに、やはり色々刺激は受けているようである。

 

そして何とあのベジマイトを気にいったらしく、我が家で唯一ベジマイトを食す男に。

オーストラリアの不味いお土産の定番

何と順調な滑り出し!オージースタイルへの適応もバッチリで親も安心。

 

アプリで共有される保育中の写真を見ても、家ではできない遊びをたくさんしている。

持ち物も着替えと水筒だけでよくて、朝ご飯もおやつも出るし、親の負担も少なくてなんて素晴らしいんだ!!

もっと早く入れればよかった!!

 

 

 

 

、、、なんていうのは甘かった。

 

 

順調だったのは最初の2回ぐらいだけ。すぐにスタートダッシュの効果は切れ、最近は数日前から「行きたくない」、「ママ(パパ)とバイバイしたくない」を連呼し、見送りの際には今生の別れのように泣き叫んでいる。

 

さらに困るのが、週1回の通園に熱、咳、鼻水の3点セットがもれなく付いてくること。そしてそれが家族に伝播し常に家族の誰かの具合が悪いこと。

 

息子の保育園が始まって家族の健康レベルが一段階低下している。親も絶賛巻き込まれ中で「あれ?子育ての負担が減るどころかむしろシンドくなってる、、、?」というトホホな状況である。

誰もが通る道、早く落ち着いてくれ

ということで何事もつくづく予定通りにはいかないなぁということを実感する毎日。

 

でも小さい子供にとっては、分離不安への直面も、色んなウイルスへの曝露も、どこかの段階で必ず経験すること。

 

とにかく早く落ち着くことを願うのみ。

 

逆にここさえ乗り切れば、2人とも学校に行き出したりして、子育ての一番大変な時期が終わるのか?と期待してみたり。

 

それもまた期待通りにはいかないのかもしれないのだが。

オーストラリアで胃カメラを受けた話

ちょっと前の記事で体調不良のことを書いた。

taku-fcb.hatenablog.com

実は数ヶ月前から喉の違和感、食道の痛みなどがあって、逆流性食道炎かなと思って市販の薬を飲んだり、GPに相談したりもしたが良くならず。

 

結局、胃カメラを薦められて先日受けてきた。なかなか貴重な体験だったので今回はその話を書く。

予約〜前日までの流れ

GPから胃カメラができる病院の紙を渡され、自分で電話して予約を取るように言われた(ちょっとハードル高)。

 

電話をしてみると、翌週から週2日ぐらいのペースで空きがある様子だったが、実験のスケジュールなども考慮して3週間後ぐらいに予約した。

 

しばらくしてメールで病院の場所や処置を受けるにあたっての注意事項などが送られてきた。

  • 場所はシティにほど近い総合病院(日帰りの入院という扱いのようだった)
  • 入院の具体的な時間は前日にSMSで連絡
  • 一部費用は先払い、その他は当日払い(後述)
  • 入院前までに病院のホームページから事前に既往歴や内服、緊急連絡先などを入力する
  • 麻酔を受けるので帰宅の際は付き添いの人が必要。術後は、運転はもちろん単身で公共交通機関を使ったりしてもいけない
  • 食事は前日夜まで

大体そんな内容だった。

予告通り前日にSMSで連絡がきて、10時に来院するよう指示があった。早めでよかった。

当日

一人でトラムに乗って時間通りに病院へ。受付を済ませてその場で入院費用を支払い。

 

個室の待機部屋に案内されて10分ほど待機した。

看護師、麻酔科医、そして術者がやってきて問診を受ける。同意書にもサインした気がする。

最後にオペナースらしき人が来てもう一度問診。細かい説明はあんまりなくて流れ作業のような感じ。

 

途中でバスローブみたいな術衣に着替えて、あとは自分の順番が来るのを20−30分待っていた。流石に少し緊張する。

 

いよいよ自分の順番が来て歩いて処置室へ。

 

ベッドに横になり、麻酔科医が慣れた手つきで右肘に点滴を取る。

 

左向きになるように言われ、「はい、では薬入れますね」と言われてプロポフォール(白い麻酔薬)を注射された。5秒ぐらいで意識消失。

 



 

 

 

 

 

で、気がついたら胃カメラは終わっていて、回復室で寝ていた。

おー、なんて快適なんだ!

 

 

 

体を起こして周りを見ていたらナースが気づいて「ice poleいる?」と声をかけてくれた。「あいすぽーる?何それ?おでこに当てる冷たいやつ?」と思ったけど適当にYesって答えたらアイスキャンディーが出てきた。(正確にはicy poleかもしれない。詳細不明。)

 

続いて胃カメラをした医師がやってきて「特に異常はなかったよ、生検した結果は後日電話で連絡するから」と言われた。よかった。

 

その後体についていたモニターを外してベッドごと移動。そこで軽食(サンドイッチとビスケット)とコーヒーが出された。予想外の手厚いもてなし。胃カメラ直後に食べるのもどうなの?と思ったけど前日夜から絶食だったのでサラリと完食。

 

食べ終わる頃には帰宅許可が出て、迎えの妻と息子も病院に到着していた。着替えてお礼を言って無事終了。

 

1週間ほど経って電話がかかってきて、生検の結果も目立った異常はなしとのことだった。

初めての麻酔

今まで1000件以上麻酔をかけてきたけど、自分に取っては人生初めての麻酔だった。

 

麻酔で意識を失う瞬間ってどんなだろうと思っていたけど、視界がぼやけてそのままあちらの世界へ、、、という感じで、まさにドラマの映像そのままだった。

 

 

そして麻酔で使うプロポフォール、気持ち良いって聞いてたけど、、、、、実際、かなり気持ちよかった。

オーストラリアと日本との違い

今回は胃カメラを行う医師(消化器内科医)に加えて麻酔科医が専属でついていた。処置室の設備もちゃんとした全身麻酔が行えるほどしっかりしたものだった。

話を聞く限りこれがオーストラリアの標準的なスタイル。

人と設備に結構リソースを割いているので、深めの鎮静で「気づいたら終わってた」が可能なのだと思う。

 

一方、日本では「胃カメラ苦しかったよ」という経験談をよく耳にする。

日本で胃カメラの処置に麻酔科医がつくことは極めて稀で、鎮静薬(麻酔薬)は胃カメラを行う医師の指示で投与される。なので過鎮静で呼吸が止まるなどの事故が起こりにくいよう麻酔の深さは必然的に浅くなる。

 

これだけ聞くと日本の胃カメラが最悪みたいに感じるかもしれないが、もちろん日本のやり方には時間やコスト的な面でメリットがあって、その分気軽に胃カメラを受けられるのが良いところだと思う。

費用

で気になる費用。

  1.  術者への費用 $600 うち保険カバー $350
  2.  麻酔科医への費用 $350 うち保険カバー $193
  3.  日帰り入院費用 $845 うち保険カバー?
  4.  生検などの費用 $156 うち保険カバー?

合計 $1951

 

2,000ドル!高っ!話には聞いていたけどそれでも高い。

一旦全額支払いして後日保険会社に請求です。

ちなみに①②が前払い、③が当日払い、④が後日郵送で請求がきてネットで支払いのパターン。

 

ネットの体験談とか読んで、ほぼ全額保険でカバーされるかと思っていたら①②の時点で早速そんなことなくてガッカリ。困りますねぇ...。

その後、

結局大きな病気はなさそうなのはよかった。

 

でも他に治療できそうな病気も何もなかった。それはそれで困った。この不快な症状と付き合っていくしかないということなのだ。

 

胃カメラ後3週間ほど経つが、症状は良くなったりまた元に戻ったりを繰り返している。

 

やっぱり根本原因はストレスなんだろうか?なんて思ったりするけど確かめようがない。

3年後PhDを終えるか、もう少し先に日本に本帰国でもした時に、綺麗さっぱり症状がなくなったらそんな仮説は証明できるかもしれない。(半分冗談、半分本気です。)

 

ということで胃カメラの話、おしまい。

 

記事のまとめは、

麻酔(プロポフォール)、サイコー!

最近のお供(市販の胃酸を抑える薬)。飲む歯磨き粉的な。PPIと併用です。

 

1年経過・子供と英語

渡豪1年シリーズ。最後は子供のこととあと少し英語のこと。

前回子供のことを書いたのは12月。

taku-fcb.hatenablog.com

娘:Prepで順調

娘は1月末に小学校0年生Prepが始まり約4ヶ月。今は4タームのうち2ターム目の途中。

 

行きたくないとぐずってみたり、トイレに間に合わなくてお漏らししたり、体調崩して休んだり、色々あるけどまあまあ楽しく行っている様子。毎日学校で作ったものを嬉しそうに見せてくる。

 

実年齢も身体も小さく英語も拙いので、同じクラスの子供たちのお世話したい欲を刺激しているのか、彼らの妹的な感じで馴染んでいるように見える。

 

英語のレベルはまだまだ周囲よりだいぶ下だが、しっかり成長は見られる。

 

友達の母に似ている人とアパート内で出会った際には"I think you is XXX's mum."と言っていたし、"My bag is so stinky..."と呟いたり(どういう状況???笑)、ついに英語で寝言を言い始めたり、でも少し長い文になるとちょっと怪しい感じ。3歳ぐらいのレベルだろうか?

 

各自の言葉の発達に合わせてリーディングの課題が出るがそれは一番下のレベル。まあ当然か。

リーディング用のオンライン教材 使う頻度の高い音から順番に学んでいくシステム
読み上げ機能付き

それでも渡豪当初や入学当初と比較するとかなりの伸び。

それに友達と楽しそうに遊んでいる様子を見ると言葉の壁ってあまり関係ないんだなと思う。

 

そして発音だけは一丁前に良い。友達の名前をちゃんと発音できていないと娘は「違うよ、XXXだよ!!!!」と何度も強気に訂正してくる。これもあるあるかな。

 

土曜校にも変わらず通っていて、本人は現地校よりこちらの方が好きらしい。

土曜校で作った母の日のプレゼント

そういえば少し前まで「明日日本に帰ろうよ」とか現実的でないことを言っていたけど、最近は言わなくなり、9月の一時帰国を普通に楽しみにしている感じ。

自分達が遠く離れた異国の地のいること、そして自分達は日本人であることをなんとなく理解してきたのかな。

 

ということで、娘は相変わらず家族内オーストラリア適応ランキング首位を独走中。

息子:まもなくチャイケアデビュー

息子はまもなく3歳。

娘に比べると言葉の発達はゆっくり(1年遅れぐらい)だが、ここ最近言語の爆発?が起こっている。そして現在は絶賛トイトレ中。

 

基本的には親とずっといるので、英語はほとんど喋らないし、なんなら英語のテレビ番組も観たがらない。

 

こりゃいかんということで思い切ってチャイルドケア(保育園)に入れることにした。

見学やエンロールを終えて、オリエンテーション→通園開始がまもなく、という段階。偉そうに書いてるけどやってくれたのは全部妻。

 

まずは週1〜2からスタートして、様子見て増やすか減らすか決めるつもり。

費用が1日$150ぐらいと、日本の比べると鬼のように高いのがネック。でもせっかく海外にいるのに今のままではもったいないし、来年1月開始の幼稚園までの繋ぎとしても投資価値はあるはず。

 

コロナ禍真っ只中で生まれて人と接する機会が少なかった息子がこれからどういう反応を示すのか楽しみ。

 

そして妻にとっては久しぶりにひとり時間が取れる良い機会。娘が産まれてからずっとだから4年とちょっと。せっかくの機会だから有意義に過ごしてくれるといいなと思っている。

自分の英語について

子供の英語のことに触れたので自分の英語についても少し。

6ヶ月時点での感想はこちら。

taku-fcb.hatenablog.com

前回書いた通り、英語力は急には伸びない。

 

そんな中、この1年で一番伸びたのはリスニング。

 

来たばかりの時、セミナーに参加してアクセントの強いスピーカーだとほとんど理解できなかったが、今はお初のセミナーに出ても大体は聞き取れるようになった。意味不明の催眠術→聞き取れる催眠術へ。

 

一方であまり伸びを感じないのがスピーキング。Camblyも週3でやってるし毎日話してはいるんだけどなあ。ラボメンバーがこちらの下手な英語に慣れただけじゃない?という気しかしない。

 

先週Camblyで初めて出会った先生に「ちゃんと毎日文章読んでread out loudしなきゃダメダヨ!!」って言われてその通りだなと思った。最近は研究の忙しさを言い訳にしてCambly以外英語の勉強をしていなかったのでこれを再開することに。やはり地道な努力が必要ですね。

 

まあ少なくともPhDは普通にできているので、無理のない範囲で頑張ろうと思う。

 

おしまい。

1年経過・生活について

渡豪1年の振り返りシリーズ、今回は私生活編。

夏は最高、冬は長く退屈

とにかく夏が楽しかった。クリスマスシーズンのBright旅行、その他週末に行った色んなところ、他家族との交流など。

 

湿度低め、朝晩涼しいという気候はかなり魅力的。緑も多いし散歩だけでも気持ちいい。

ただビーチ日和の暑い日は思ったより少なかった。今年が冷夏だった説と例年通り説のどちらも聞くけど、来年はもう少し暑い日が増えるといいなあ。

晴れた日のヤラ川沿いは本当に気持ちいい

逆に冬は憂鬱。雪も降らないし気温も東京ほど低くないけど体感はほぼ変わらない気がする。

雨が多く、寒い期間が長い。

 

5月に入り最近は朝は10℃以下まで冷え込む。これが11月まで続くとまだ続くと思うと恐ろしい。

 

去年の冬は子供の遊ばせ方に本当に困ったので今年は子供と冬を楽しむ方法を見つけたい。

住めば都

去年の今頃といえば、長期休暇で不在の旧ボスの家に滞在していて、子供たちが素敵な家財を壊さないか気が気ではない毎日を送っていた。そして苦労してやっと家が借りられて、さあ引っ越すぞ!となっていた時期だった。

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5月終わりに今の家に引っ越してきて約1年。今ではRichmondが自分たちのホームタウンになった。生活に便利な点がとても気に入っていることもそうだし、娘の小学校を通して同じ地域に住む人と接することが増えて地域に愛着がわいてきた。

 

少し離れているけど同じ地域にはメルボルンで1、2を争うファンキーなエリアもある(Victria St沿いのドラッグ常習者が多いらしいエリア)。この前友人と2人で夜ランしたのはスリルがあった。

 

最初は色々心配していたけど、やはり住めば都。

万が一引っ越すことになっても同じエリアに住みたいなあと思っている。

(郊外で庭付き一軒家に住んでBBQするのも夢だけど。)

食費ジワジワ上昇中

こちらにきてしばらくは食費を抑えようと必死になっていて、外食も日本食もかなり控えていたが、鶏肉ばっかり食べていたら飽きたし、子供は2日に1回ぐらい納豆を要求してくるし、友人夫婦が美味しいレストランをいっぱい教えてくれるし、最近はちょくちょく外食したり日本の食材を買ったりしている。

なんなら最近は家族でジェラートを食べるのが週末のイベントみたいになってる。

 

スーパーの鶏もも肉が1年間で$12→$13.5/kgになったりと、物価の上昇も地味に不気味ではあるのだが。

 

なのでトータルの食費はジワジワ上昇中。

でも美味しいご飯は生きる活力なので、これは必要経費であって浪費ではないのだー!ということにして完全無視。

ジッとしていられない子供x2が外食へのかなり強い抑止力になっているけど、彼らがもう少し成長したらどうなることやら。

日本人との出会い

この1年で新しい日本人の知り合いもたくさんできた。

 

ワーホリから定住した人、学生時代から色んな国を渡り歩いてメルボルンに行き着いた人など、日本で普通に暮らしていたら絶対に出会わなかったであろう人たちとも知り合いになれた。

海外でマイノリティ人種に属してるからこそできる貴重な経験。これは来る前には想像もしていなかったこと。逆に相手側からは自分達はどう見えてるんだろう?と少し考えたり。

家に人を呼んでご飯を食べることが多い

健康問題が影を落とす

年末から股関節の痛みで色々あった息子。一旦は元気に走り回っていたが症状が再燃し多分これからは定期的に病院通いになりそう。

 

私は私でこの2ヶ月程体調があまり優れず。食生活も見直してお酒も一切飲まずにいたが改善しなかったのでGPに相談したところ、ちょっとした精密検査を受けることに。重大な病気が見つからなければよいが。

 

日本ではほとんどなかった健康問題がなぜオーストラリアに来てこうも我々を困らせるのか。医療アクセスのハードルの高さは以前書いた通り。

 

息子はともかく私のやつは年齢?ストレス?食生活?何が原因だか知らないけどとにかくQOLも下がるし勘弁してほしい。

まとめ

渡豪当初は色々身構えて生活していたが1年でだいぶ落ち着いた生活ができるようになった。

せっかくの海外生活、学生生活なんだからもうちょっと心の余裕を持ってエンジョイしたいな、とは思うんだけど、夫婦揃って結構気にしいなのでそう簡単にはいかない。(それとも「遊びに来たんじゃない!研究しに来たんだ!」とか考えて自分を追い込むのがやめられない単なるM気質なのかもしれない。最近よくわからない。)

それでも少しずつ、少しずつそういう方向に向かっていて、これからの1年はもっと余裕を持って楽しめるはず。笑

こんな風に生きたい


良い1年になりますように。

1年経過・研究について

気づけば渡豪そして博士課程開始から1年が経過した。何回かに分けて今感じていることを記録に残そうと思う。

 

今回は研究について。

先日あったPhD confirmationについては前回記事にしたので、研究・博士課程全般に関して書く。

taku-fcb.hatenablog.com

6ヶ月経過時の記録はこちら。

taku-fcb.hatenablog.com

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充実の指導体制

前回の記事にも書いたが、

  • 複数の指導教官からフィードバックを受けながらthesisやpublicationを書く
  • 学内や学会発表に向けてラボミーティングでpractice talkする

この環境のありがたさを強く感じている。

 

わざわざ英語圏に大学院留学に来て、そして一旦臨床を離れて研究に専念している意義を一番感じるのがこの点。

 

若ボスが異例の速さで出世しているので忙しすぎて最近少しアクセスが悪いとか、老ボスは半分引退して旅行で不在の機会が多いとか、外部ボスはレジェンドすぎて恐れ多いとか、そんな不安は色々あるけどあと2年この環境を存分に利用させてもらうつもり。

修行を通しての成長

とはいえ、上記の過程には大きな痛みを伴うのは事実。毎回自分がいかに未熟であるかを思い知らされる。

 

そんな状況も楽しめるスーパーポジティブ人間になれれば良いけど、自分はそんなタイプではないので、学びが多くてもキツイものはキツイ。まさに修行を通しての成長という感じ。来てよかったとは思うけど、早くPhDを終えたいなとは思うし、もう1回はやりたくないし、他人にも安易には勧められない。

 

ただしキツいのは決して自分だけではないというのは繰り返し感じること。「PhD=タフなトレーニング」というのは誰にでも当てはまるようだ。

 

実際、他のPhD学生もまあまあボコされているし、指導教官やポスドクたちもPhD時代のキツかった思い出をよく話している。

 

例えば前回のブログに登場した、私が世話になっているポスドクシンガポール人である彼女がライティングを初めて提出したときの指導教官のフィードバックは"Is English your first language?"だったらしい。シンガポール人なのでもちろん英語は第一言語である。彼女の中での鉄板の笑い話らしい。

 

そんな「自分だけが苦しいわけではない」という事実は、時に心の救いになるし、また別の時には「悲劇のヒロインぶるなよ」という戒めにもなる。

 

"Pain is the greatest teacher." とはよく言ったもので、このタフな経験を通して皆一人前のサイエンティストに近づくのだ、と思う。

 

もちろんこれはある程度きちんとした指導を受けている前提。少なくとも私のいる環境では、要求されるレベルは低くないが人格が否定されたりすることは決してないし完全放置されて途方に暮れることもない。ポスドクの彼女だってPhD取得から10年近く経った今でも指導教官とは親子のような良い関係。ヒドい指導教官にあたるとパワハラアカハラ、放置状態で行き詰まってしまう場合もあるらしいので、そういう場合は早めに外に助けを求めた方が良いと思う。

研究1本で生きていく道はない

この1年でほぼ心に決めたのは、研究者として一生暮らしていく道はないということ。研究がよほど自分に向いていれば臨床に戻らずに生きていくものもありかと思っていたが、その選択肢はなさそうだ。

 

一番の理由はおカネの問題。研究者は常におカネ(研究費)の心配をしている。今までの自分がナイーブすぎただけなのだが、自分が想像していたレベルを遥かに超えていた。

ラボを率いる立場の人の苦労は計り知れないし、若手研究者も今のうちに小さいグラントを獲得して実績を積み上げないと将来生き残れない。グラントがなくなればそれは研究室の消滅=仕事を失うことを意味する。

 

科学は真実の追求だ!とかいうけど、結局はおカネがないと研究ができないので、研究費のことが常に話題の上位に来る。

 

1年間彼らの様子を見ていて、これは生涯唯一の仕事にして生きていくことは自分には出来ない気がする、というのが正直な感想。

 

覚悟が足りない、そんな中途半端な気持ちでやるな、って言われるかもしれないけど、やっぱり医師の仕事が恋しいと思うことはたくさんあるし、やりがいも安定した収入も得られる仕事を捨てることはできない。家族のことを考えるとなおさら。

 

でも研究は好きだから、医者をしながら研究を続けるclinician researcherになることが今の自分が目指す道。これがこの1年でかなりはっきりした。

 

将来的に海外で頑張って仕事を続けるか日本に帰るかはまだまだ未定。今は4:6か3:7ぐらいで日本に帰る可能性が高いかなと思っている、なんとなく。

これからの予定

今週はConfirmationを終え少しのんびり過ごしたが、来週からまた再始動。

まず2週間後に所属する研究所のPhDシンポジウムで発表がある。2、3年目のPhD学生50−60人が発表するもの。10分発表、5分質疑応答。内輪の会とはいえ大きな講堂でのプレゼン。どうなることやら。

 

あとは年末にやっていた実験の論文化が待っている。勢いで「6月末までに書き上げます!」と言ったけど多分無理。どうしよう。

 

そして9月には日本で開催される小さな国際学会で発表予定。

これは日本に一時帰国したい旨をボスに伝えたら「この学会に合わせて帰国して旅費請求しちゃいなYO!」と言われたやつ。発表は特に楽しみではないけど、帰国はめちゃくちゃ楽しみ。

10月、12月にはオーストラリアの国内学会での発表も予定している。

 

予定通りにこなせれば2023年の目標は達成できそうかな。頑張ろう。

ある祝日の街中で。クッキーモンスターにクッキーの絵をプレゼントする娘と小学校の友達。